立場が違っても誰もが一人の人間として認められるのが当たり前な世界があれば、「認められるべき」という考えさえ存在しないはず、とイアンは言いたかったのだと思います。そのような世界が現実にあれば、このテーブル・オブ・ホープの企画もなかったことでしょう。

 最後まで読み終えると、イアンは私に「出身はどこか」と聞きました。日本だよと答えると、子供のころ日本人の先生から空手を習っていたことを話しだしました。それから彼はケープタウンで長い間、路上生活をしていること、その視点からケープタウンの厳しい現実を語ってくれたのです。

 例えば、路上生活をしていると誰も自分のことを気にかけてくれないので、社会に認められていない気持ちになること、白人男性が裸足でも入れるのに、靴を履いている自分が入場を断られる場所がまだあるということ。

 それから、ケープタウンでは市街美化のため路上生活者がベンチの上で夜、寝ているとセキュリティーガードに起こされ、持っているものを没収されることがあるので安心して眠れる場所がなく、ある一定の時間ごとに歩き回らなければいけないので大変だという話をしてくれました。

 そうして2時間ほどイアンの話を聞いた翌日、彼は私に手紙を書いてくれました。3枚に渡る長い手紙で、一部を抜粋するとこんなことが書かれていました。「僕は“自分は忘れられていない”と思い出す場所が猛烈に必要だった。そして君は、完璧なタイミングで、神さまのご加護で選ばれた人だった。彼の完璧といえる行為を受ける立場に置かれて、光栄に思う」

 南アフリカの現状について、シャネー・スワートさんが著書の「Re-Authoring the World」で以下のように説明しています。

「南アフリカでは、アパルトヘイトにより、殆どの国民が人種、性別、教育水準、階層、言語などの観点で自分とは異なる人々と同じ部屋に座って会話をするということを経験してきませんでした。この国家には異なる民族や組織における異なる立場について、ある一種の考え方が当然のように存在し、それが歴史と相俟って私たちが前進するのを止めるかのような人生のシナリオを作っているのです」

 実は、テーブル・オブ・ホープはシャネーさんとのコラボレーション企画で、彼女が教えるナラティブ・アプローチと呼ばれる手法を使い、私たちは人の話をジャッジしたり、非難することなしに、寛大に聞く機会を通して、自分たちが生きている人生のシナリオを書き換えるきっかけを作ったのです。

幸福大国デンマークが<br />アフリカにできること
幸福大国デンマークが<br />アフリカにできること

  イアンはその後、私たちがケープタウンで開催したパーティーやイベント、公開授業にも参加して、カオスパイロットの他の同級生とも仲良くなり、多くの友人を作りました。デンマークに帰国する際には、友人たちと持って帰らない洋服やグッズを集めて彼に贈りました。デンマークの教育で学んだことを活かせば、アフリカでも人種も階層も越えた人間関係の和を作ることができる、と実感できたことで大きな自信につながりました。

 その1ヵ月後、私はデンマークのデザイン思考を使ったアフリカの成功事例を学ぶため、南アフリカのすぐ北側にあるジンバブエという国を訪れました。ある女性に会うためです。