1982年のピーク時には約320万台が販売されていたオートバイ。しかし、2009年は約38万台にまで市場規模は落ち込んでしまっています。
このグラフをみると、1984年から2009年の25年間で市場規模は約6分の1になり、市場はジリジリと縮小していることがわかります。
市場規模が大きく縮小した事例として、他にウイスキー市場などが挙げられます。こうした何らかの要因で市場規模が縮小してしまっている市場を分析することで、これからの日本(少子高齢化と人口減少)において、いかにビジネスを展開していくべきなのかが見えてくることがあります。そこで今回は、オートバイ業界をテーマに取り上げることにしました。
「新たなユーザー」と「ヘビーユーザー」を
増やせなかったメーカー側の誤算
さて、日本のオートバイ市場は、なぜこのような状況になってしまったのでしょうか。
まず1984年当時を振り返ってみると、約200万台の内の約160万台が50ccのスクーターであり、ホンダ、ヤマハ、スズキの各メーカーから続々とヒット商品が生まれていました。この50ccスクーターは、その手軽さと安さで主婦層をはじめとしたエントリーユーザーに受け入れられたようです。
しかしながら、社会問題化していた暴走族問題に端を発した「三ない運動」の強化、多発化する事故対策としてできたヘルメット規制、等の逆風を受けて市場は縮小へ向かいました。
このような環境下でも、メーカーは当然努力をしてきました。ヘルメットの収納を可能にしたメットインスクーター等はその代表例だと言えるでしょう。ただし、これも視点を変えれば、ユーザーの不便に対応する当たり前の努力に過ぎないという見方もできます。「当たり前の努力こそが大切ではないか」という声が聞こえてきそうですが、ユーザーにとっての不便、不安、不満、等の“不”への対応は、やはり“当たり前”に過ぎないのではないでしょうか。
メーカーが、本当にやらなければならなかったのは、出来うる限りエントリーユーザーを増やすことであり、その中から少しでも多くのユーザーをヘビーユーザー化していくことだったと思いますし、実際そのように考えられてもいたでしょう。しかし、実際にとられていた戦略が必ずしもそこに合致するものであったのかどうかは疑問の残る部分もあります。
ひとつは、50ccスクーターの商品開発です。「お手軽」「買いやすい価格」が市場を拡大した原動力だったはずなのですが、投入される新しいモデルは、パワーアップされて重厚感が増すとともに、それにつれて価格もどんどん上がっていきました。
もうひとつは、排気量の大きいラインナップの商品政策です。こちらは、世の中の流行に対してメーカーが振り回される構図になっていました。例えばレーサーレプリカが流行った時代はそのカテゴリーのMDをかなり充実させるのですが、流行が終焉を向かえるとそのラインナップ自体がなくなってしまうといったことも多々あります。