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かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

「ミス・サイゴン」日本初演(1992-93)
もう一人の主役キム「入絵加奈子」の22年

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第62回】 2014年10月17日
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 入絵加奈子は2014年10月31日まで、帝国劇場で「Yuming singsあなたがいたから私がいた」に出演している。松任谷由実の歌と演劇を組み合わせた叙情的な作品だ。入絵は医療付き介護施設で暮らす80歳前後の老婆に扮している。深刻でロマン的な劇中、ただ一人のコメディエンヌとして優れた演技力を発揮していた(文中敬称略)。

1992年7月3日帝国劇場楽屋入口で

 帝国劇場は丸の内3丁目の国際ビルヂングの中にある。1911年の開場時から関東大震災(1923年)後の改修を経て、歴史的な意匠をまとったクラシックな劇場建築だったが、1966年に新築された帝劇は、三菱地所の国際ビルに収まっている。

入絵加奈子

 したがって外観はごく普通の四角いオフィスビルだが、劇場の中に入ると48年間に蓄積された演劇やミュージカルの濃密な空気を吸い込むことになる。観衆はその落差に幻惑され、緊張を強いられる。まるで異界に放り込まれたようだ。

 帝劇は1911年から30年まで独立資本の経営だったが、30年に松竹が経営する映画館となり、39年まで続いた。40年には東宝の経営に移り、戦争を挟んで55年まで再び演劇が舞台にのる。55年から64年までは東宝が映画館として使用していたが、64年に解体、新築されることになる。そして66年に完成すると、東宝による演劇とミュージカルの公演が始まり、現在の隆盛にいたっている。日本のエンタテインメント史100年を呑み込んできた大劇場だ。

 松任谷由実も冒頭のMCで、帝劇の中は時間が止まっている、と話していた。終演後、入絵に会うため、地下1階の楽屋受付に降りて行った。楽屋は5階と6階にあるそうだ。

 今から22年前、1992年7月3日の夜8時ごろ、この楽屋口の狭い通路で東宝のプロデューサー古川清(連載第4回参照)以下、大勢の舞台スタッフが入絵加奈子の到着を待っていた。この日の「ミス・サイゴン」の第1幕で主演のキム役を演じていた本田美奈子が、レール上を移動中のセットに足を挟まれて指を4本骨折する重傷を負ったのである。

 本田は大量に出血しながら激痛をこらえ、第1幕最後の「命をあげよう」を歌いあげてから病院へ搬送された。急遽、第2幕のために入絵が呼び出されたのである。彼女は「ミス・サイゴン」初演時に本田とのダブル・キャストで主演のキムを演じていたのだ。

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

「かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史」

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