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かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

「ミス・サイゴン」で「美奈子キム」と500回共演
指揮者・塩田明弘さんが語る「小節線を越える力」

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第3回】 2012年6月15日
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「アイドル歌手」への先入観

 1992年5月5日に「ミス・サイゴン」の本公演が帝国劇場で始まると、すぐに全国紙が批評を載せている。このとき、本田美奈子さんへの酷評ぶりに驚いた記憶が残っていたので、当時の記事を探してみた。該当する部分だけを並べるとこうなる。

 「本田は恋の喜び、別れの悲しみを演じ分け、母の愛の強さを熱唱した。ミュージカル女優の誕生を印象付けた。演技に強弱が出せれば申し分ない。」(92年5月11日付「読売新聞」)

 「本田はいちずな歌い方に純粋さが、」(92年5月12日付「毎日新聞」)

 「ヒロインのキム役の本田美奈子は、わが子を米国に送ろうとする切ない演技が印象的。だが、この役にはもっと豊かな声量とふくらみのある表現力がほしい。」(92年5月13日付「朝日新聞」)

 全紙酷評というわけではなかったが、高い評価ではない。「朝日」は「声量も表現力も不足」と言っているようなもので、これはケチョンケチョンの酷評だ。「読売」は「熱唱した」、「毎日」は「歌い方に純粋さ」と書いているが、これでは音楽批評になっていない。

 つまり、当時の3大紙は本田美奈子さんのキムに対して批評らしい批評はしていないか、あるいは1、2行書いただけだった。とくに「朝日」の酷評が強く記憶に残っていたのである。

 これはあくまでも想像だが、「アイドル歌手にこの大役を歌えるわけがない」という先入観が強かったのではないか。「アイドル歌手だから」という先入観はだれにでもあったはずだ。それほど本田さんがアイドルとして有名だったわけでもある。

 もちろん、「ミス・サイゴン」は1年半のロングランだった。回数を重ねるに連れ、本田さんへの評価は急速に上がったと思われるが、その後も公演期間中に専門家による批評らしい批評はメディアに出なかったと思う。インタビュー記事や芸能ニュースはたくさんあったが。

ミュージカル出演が「新たな旅立ち」に

 1990年、ソロ・シンガーとして壁にぶち当たっていたことは連載第1回に書いた。91年5月に「ミス・サイゴン」の練習が始まり、本番まで2、3ヵ月に迫っていた92年1月か2月に取材を受けたと思われる女性誌「MORE」のインタビューを読むと、「すべての経験を生かせる」、という積極的な姿勢を獲得していた。

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

「かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史」

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