2700メートルの滑走路を持つ米軍普天間飛行場。在日米軍基地には日米いずれの国内法も適用されないため、飛行場周辺にもかかわらず、住宅や学校などが近接している=2012年

沖縄県知事選挙は11月16日の投開票に向け、ラストスパートに入った。県内各地で、選挙カーのボリュームが上がっている。最大の争点は宜野湾市の米軍普天間飛行場を返還するために、約50キロ離れた名護市辺野古の海を埋め立て、代わりの施設を造る計画を容認するか、反対か、と言われている。選挙結果から浮かび上がるのは、普天間問題に対する県民の審判といった単純化されるものではなく、むしろ戦後70年間、沖縄に米軍基地を押しつけてきた日本政府や国民との向き合い方ではないだろうか、と感じている。

普天間・辺野古問題の経緯

 そもそも普天間返還は、日米両政府が1996年4月に発表した。前年に米海兵隊員3人による少女暴行事件が発生し、県民の反発は高まっていた。それから19年近く経ても、返還は実現していない。

 面積480ヘクタール、東京ドーム102個分に相当する軍事基地は人口9万5000人の宜野湾市の真ん中にドーナツの穴のように居座る。主に米海兵隊が使用し、現在はMV22オスプレイなど約40機が常駐する。周囲には住宅のほか、学校や病院が近接し、騒音だけでなく、航空機事故への懸念が消えない。

 2004年8月には普天間飛行場に向かっていた大型ヘリコプターが、沖縄国際大学の構内に墜落した。「普天間の危険性除去」は喫緊の課題だ。

 日米は99年、普天間の移設先を名護市辺野古に決めた。当時の市長や県知事は、施設の使用に関する協定や期限を設けるなどの条件を付け、容認する姿勢を示した。

 2009年の民主党政権誕生で状況は一変する。鳩山由紀夫首相が「普天間の県外移設」を公言したことで、県内では辺野古移設反対に雪崩を打った。これまで辺野古移設を推進してきた自民の県議や国会議員も「県外移設」を公約に掲げた。そうしなければ、沖縄で選挙に勝つのは難しかったからだ。