和食を世界中に広めることに貢献したレストラン、NOBU。オーナーシェフの「ノブ」こと松久信幸氏は、それまで誰も考えつかなかった料理のレシピを生み出すばかりでなく、味噌のまったく新しい使い方も考案した。ひかり味噌社長・林善博氏に「ドライミソ」誕生秘話と、世界でブームになっている味噌の可能性をうかがった。(インタビュー・構成 ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)

予想外の宿題「味噌を乾燥させて使いたい」

――NOBUそして松久信幸さんご本人との出会いは?

 私は学生の頃から海外に出たい気持ちがとても強く、他の勉強はできませんでしたが英語だけは一生懸命やっていました。大学を卒業して就職する時も海外事業を担当させてもらえるところを探し、信州精器でアメリカへのプリンターの輸出に関わっていました。実家へ戻り、ひかり味噌に入社する際も、「海外は自分にやらせてくれ」と海外営業担当になり、アメリカ、カナダを開拓していきました。

 そして、2005年、日本の味噌業界としては初めてアメリカに常駐の営業マンをおいたのです。当時すでに、「日本の食品をアメリカへ」と言えば、ノブさんの名前が必ず登場しましたから、私も「うちの味噌をノブさんの店で使ってもらえたら最高だな」という思いがありました。そこで、ノブさんの店に出入りしている問屋さんに紹介していただいて、現地の営業担当者とともにロサンゼルスのマツヒサにうかがいました。

 ところが、「ひかり味噌を味噌汁に使っていただきたい」という売り込みだったはずなのですが、ノブさんからまったく予想外の宿題が出てしまいまして……。

――書籍『お客さんの笑顔が、僕のすべて!』の第五章に登場する「ドライミソ」のエピソードですね?

 当時、ノブさんはバットにうすくのばした味噌を天日に干して乾燥させ、ジューサーで砕いて乾燥味噌をつくっていました。「これがとても大変なんだ。味噌屋さんだったらできるでしょう?」と言われたんです。直感でフリーズドライの製法を使えそうだと思いましたが、ノブさんは粉末味噌ではなく、クリスピー、つまり、カリカリとした粒にしてほしいというのです。

「これは難しいぞ」と思いましたが、「ここでノーと言ってしまったら半永久的にチャンスはないだろう、儲かる儲からないは関係なく宿題に応えよう」と腹を決めました。それから実際に使っていただける「ドライミソ」ができるまで1年近くかかりました。少々専門的な話になりますが、味噌汁や卵スープのように液体になっているものをフリーズドライにするのは、技術的に難しくないのです。ところが味噌そのものをフリーズドライにするのは水分が飛びにくく非常に難しい、さらに粉末ではなく粒にするには非常に繊細な工程管理が必要で、苦労しました。