2014年『ミシュランガイド フランス』で、20人もの日本人が星を獲得した。そのなかで最も注目される1人が、外国人として最年少で星を獲得した松嶋啓介シェフだ。そんなフランスで活躍する松嶋シェフからみて、日本のビジネスパーソンが日本人らしく海外で活躍するためには何が必要なのだろうか。前回に引き続き今回は「アイデンティティ」を題材に、経済学者の柳川範之・東京大学大学院教授が松嶋シェフにインタビューする。
海外赴任をする日本人は上から目線
柳川 松嶋さんにぜひお伺いしたいと思っていたことがあります。松嶋さんは、それぞれの地域で、その土地の成り立ちを知ってから料理を考えていますよね。こうした話は、実は海外に進出し、現地の方を雇っているいろいろな日本企業が悩んでいる問題にもつながると思うんですよ。
松嶋さんのご経験や取り組みは、例えば、現地の方との付き合い方や日本的経営をどこまで浸透させるべきかを考えるための参考例になると思いますが、いかがですか?
1977年、福岡県生まれ。専門学校卒業後、「ヴァンセーヌ」をへて渡仏。2002年、ニースに「Kei's passion」をオープン。2006年に外国人最年少でミシュラン一つ星、2010年にフランス芸術文化勲章を受章。2009年、東京・神宮前に「Restaurant-I」を開店。開業5周年を迎え、2014年7月、フランス・ニースの本店と同じ「KEISUKE MATSUSHIMA」に店名変更。
松嶋 僕はコンサルタントではありませんが、いろいろな人にそういったことでアドバイスをしています。そのなかの一人が中田浩二選手。筑陽学園高校時代、僕は久保竜彦と一緒にサッカーをやっていました。彼は浩二と仲がよくて、浩二がフランスに行くときに「面倒を見てくれ」と言われて、それから彼のサポートをしています。
柳川 そういうネットワークもあるんですね。
松嶋 浩二に試合でニースに来たときに会って、フランス語やフランスの文化を教えていました。フランスと言っても、パリとマルセイユとニースではまったく違うので、地域性はどうだ、サッカーのスタイルはこう違うとか。日本でも東北と九州の人では全く違いますよね。それを同じ「日本人」だとして、同じ付き合い方をしてもうまくいくわけがない。フランスも同じです。地域の人たちに溶け込むためにはこういう遊び方をしたり、休みはこうして溶け込んでみろといろいろアドバイスをしました。
柳川 歴史的な経緯を知っていることは大事なことなんですね。
松嶋 僕が16年フランスで生活する中で、3年くらいしか海外赴任しない日本人を何人も見てきました。彼らは通用しませんよ。無理ですね。その程度で「海外に赴任しました」というのは甘いんじゃないの、と思います。
柳川 日本では、3年いたら結構なベテランですよね。
松嶋 たとえば現地のレストランを知っただけで、「現地で料理人をした」なんて間違っても言ってはダメ、ナンセンスですよ。そんな人たちをいっぱい見てきましたし、いっぱいダメ出ししてきました、いまでもダメだなと思い続けています。
柳川 それは知識量が足りないということですか?
松嶋 いやいや、そうではありません。輪の中にどう入るかをまずは考えようよ、ということです。日本で成功する外国人野球選手を見るとわかると思います。なぜラミレスが成功したと思いますか?彼は日本に溶け込んで、日本語を覚えようとした。日本語のギャグまで言うワケです。そういう愛嬌や姿勢が、「よし!あいつのために何かやってやろうじゃないか」という気持ちを生み出しているわけ。
日本から海外赴任する人たちは、上から目線なんですよ。内側に1回入って、一緒に立ち上げていこうという人たちは一人も見たことありません。1年目は言葉を覚えるのに必死で、前任の仕事を引き継ぐことに追われます。2年目はある程度準備ができて、3年目はもう来年帰るからちょっと遊ぼうかなとなる。次に来る人への引き継ぎの準備をするだけで、結局何もやってないことが多いと思います。
柳川 日本企業がグローバル展開を進めるなかで、実際のところ、それぞれの国や地域に溶け込んでいる人がどれだけいるかというと、まださみしい状況ですね。
松嶋 フランスに来ている人たちは、利益を生むために一緒に仕事をしているという感覚が強すぎると思います。でも、現地の従業員から「うちにご飯を食べにおいでよ」「今日はパーティーだから来ない」と言われている社長なのか、つまり関係性をつくれる人なのかというと、そうではないと思いますね。