米国発の経営コンサルティング会社という業態が日本に上陸してから、すでに40年以上の月日が経つ。今も“ビッグ4”の一角を成す米A.T.カーニーは、顧客企業の現場にコンサルタントを常駐させるスタイルを取ることで、「オペレーション関係の仕事に強い」とされる。実際に同社には事業会社からの転身者が少なくない。岸田雅裕・日本代表に、最近の問題意識を聞いた。

――日本代表に就任して、もうすぐ1年。岸田さんは、古くて新しいテーマである“日本企業のグローバル化”について、どのように見ていますか。

きしだ・まさひろ/1961年、愛媛県生まれ。83年、東京大学経済学部を卒業後にパルコへ入社。事実上の創業者だった増田通二社長に師事する。9年勤めた後、日本総合研究所を経て米ニューヨーク大学スターン経営大学院でMBAを取得。米ブーズ・アレン&ハミルトン、独ローランド・ベルガー、米ブーズ&カンパニーを渡り歩き、米A.T.カーニーに参画する。14年1月、日本代表に就任。著書に『マーケティングマインドのみがき方』(東洋経済新報社)がある。
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 日本企業のグローバル化は、1990年代くらいまではあまり言われなかったと思います。というのも、例えば日本の自動車産業や電機産業などは世界の市場で成功していたからで、日本の産業界で真剣にグローバル化が検討されるようになってきたのは2000年代に入ってからです。それまで、先進国を中心に日本が世界で勝っていた産業が、とたんに負け始めたのです。

 かつて、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)諸国の富裕層は、先進国仕様の製品またはグレードダウンした製品を買ってくれていました。ですが、彼らが経済的な力を付けていくにしたがって、中間層はその国の仕様に合った製品でないと買ってくれなくなりました。過去には、日本の競争相手と言えば、米国、欧州、韓国が中心でしたが、そこにBRICS諸国が加わったことで、価格面で厳しい競争を強いられるようになりました。

 世界で進行するグローバル化の波を受けて、①市場が一気に広がり、②そこに参加するプレーヤーの数が増えました。さらに、全世界的にICT(情報・通信技術)が発達したことにより、③製造業の世界でアナログからデジタルへの移行が加速したことがあります。アナログの時代は、過去の知見やノウハウなどはほとんど人間の内部に蓄積されていましたが、デジタルの時代には人間の外部に出て簡単にコピーされるようになりました。そのような潮流の変化を受けて、グローバル競争の中で日本の競争優位が下がってしまったのです。