ダイヤモンド社のビジネス情報サイト
ニッポン 食の遺餐探訪

戦後70年、合成醤油からホンモノ回帰への長すぎた道のり

樋口直哉 [小説家・料理人]
【第28回】 2015年3月4日
著者・コラム紹介バックナンバー
1
nextpage
群馬県の醤油メーカー、有田屋の醤油

 どこか旅をして空港に降り立つ。最初に感じるのはその国の匂いだとよく言われる。

 コーヒーとバターの匂いがあり、香水がある。香菜があり、乾いた土の匂いがある。我が国のそれは醤油の香りだという。我々、日本人はその香りを感じることはできない。

 あまりにも身近過ぎて、かえって知らない。僕にとって醤油とはそういう存在だった。

すべて自社で手掛けるのは1割だけ
醤油メーカーの不思議な真実

 江戸時代の中期から使われはじめた醤油には、ご存じのように濃口や薄口をはじめ、様々な種類がある。それぞれ地域に根付いたもので、郷土の食文化と密接に関わっている。

 国内の醤油の消費量は1980年以降、減少傾向にあるが、反比例するように輸出や海外での生産は増加している。2011年の海外での生産量は約20万キロリットルで、これは1975年に比べて約25倍だそう。醤油の海外展開の歴史は古く、フランスの太陽王ルイ14世の宮廷料理にも使われていたほどだ。

 一方で国内の醤油蔵の数は減少を続けている。醤油造りは一度、やめてしまうと、その味は幻となってしまう。醤油造りには麹菌や乳酸菌、酵母菌といった微生物が介在しているので、蔵がなくなってしまうと長い時間をかけてつくられた複雑な生態系は二度と帰ってこないのだ。

 調べてみると現在、醤油のシェアは5社の大手メーカーとその他の中小メーカーにわかれており、出荷量の半分を千葉県と兵庫県が占めているという。大手メーカーの醤油の質も決して低いものではないが、この傾向は薄れていく地域性を象徴しているように思う。かつてはそれぞれの土地、土地に醤油蔵があり、その地域の味をつくっていたはずなのだ。

 さらに調べていて、不思議な事実を知った。醤油の原料仕込みから熟成、圧搾、ビン詰めまで一貫して行っている醸造元は全体の1割ほどしかないそうだ。多くの醤油メーカーは生揚げ醤油(もろみが入った状態の生醤油)を仕入れて、自社で火入れ、それを瓶詰めしているのだという。

 これには1963年に制定された「中小企業近代化促進法」という法律が関係している(参考『食品産業における中小企業近代化促進政策の展開と意義──しょうゆ製造業を中心として』[大矢祐治著 筑摩書房])。醤油メーカーは協業組合や協同組合という形で事業を推進してきたという歴史があるのだ。大分などでは大手スーパーなどの進出に対応、対抗するために協業したことで大手の進出による廃業を免れたという。九州に『甘い』醤油が文化として残ったのは、嗜好以外にもこうした動きも影響していたのだ。

 とはいえ醸造食品は色々とあるが、自社ですべてを手がけているのがむしろ珍しい、というのは醤油業界だけだろう。このことは醤油が歴史に翻弄されてきた歴史を物語っている。

1
nextpage
関連記事
スペシャル・インフォメーションPR
クチコミ・コメント

DOL PREMIUM

PR

経営戦略最新記事» トップページを見る

最新ビジネスニュース

Reuters

注目のトピックスPR

話題の記事

樋口直哉 [小説家・料理人]

1981年生まれ。服部栄養専門学校卒。料理人として活動する傍ら、2005年、『さよならアメリカ』で群像新人文学賞を受賞し、小説家としてデビュー。ほかの作品に『月とアルマジロ』(講談社)、『大人ドロップ』(小学館)、『星空の下のひなた。』(光文社)、『ヒマワリのキス』(徳間書店)、『アクアノートとクラゲの涙』(メディアファクトリー)がある。

 


ニッポン 食の遺餐探訪

和食を世界遺産に、という動きが農林水産省を中心にはじまっている。日本料理はここ十年余りの世界的な流行になり、外国の料理人の多くも関心を持っていて、誰もがそれを理解しようとしている。しかし、当の日本人の多くは日本料理を理解できていないのではないか。そこでこの連載では、日本の食を支えている道具や食材をつくっている生産者、職人を訪れて、私たち日本人が知らない日本の“食の遺餐”を紹介していく。 

「ニッポン 食の遺餐探訪」

⇒バックナンバー一覧