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3.11を忘れない~大震災4年目の「今」を問う

大震災から4年「男の旅立ち」(2)

日和幼稚園訴訟の父親が吐露する
今なお遠き「心の和解」

吉田典史 [ジャーナリスト]
【第4回】 2015年3月11日
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 おびただしい数の人々が亡くなった東日本震災の発生から4年、遺族は今何を考えているのか。シリーズ「大震災から4年『男の旅立ち』」第二弾は、震災で幼稚園に通う娘を亡くし、園を相手取って裁判を起こした男性の取材を試みた。メディアで大きく報じられた「日和幼稚園訴訟」の原告の1人である。

 男性が和解にいたるまでの経緯や心情、今感じている思いなどに迫ることで、遺族の揺れる心を浮き彫りにする。


娘たちはなぜあんなことに……。
真相は今もわからないまま

西城靖之さん(石巻市の自宅にて)

 「裁判で和解した後、争うことを『妥協したんですか?』と聞かれることがあるの。俺たちにそんな考えはないんだよね。法的な争いを終える、1つの出口という意味でしかないと思っている。和解、という言葉がよくないよね。娘が死んでしまったことの悔しさをどこにぶつけるか……。裁判は、その1つだったんだろうけど……」

 西城靖之さん(46)が、昨年12月、石巻市(宮城県)の私立日和(ひより)幼稚園との裁判を終えた思いを話す。筆者が2年半前に取材で会ったときよりは、顔の表情はやや穏やかになっていた。

 髪の毛には、かすかに雪がついたままだ。道に迷う筆者を、家から数十メートル離れたところまで、傘もささずに出迎えてくれた。2月上旬のその日は、しんしんと雪が降る寒い日だった。

 東日本大震災では、幼稚園に通う次女の春音(はるね)さん(当時6歳)を亡くした。小学校に入学する直前だった。西城さんの左横には、妻の江津子さん(40歳)が背中に1歳の次男を背負い、座る。

妻の江津子さんと

 「私は、主人が『和解する』という考えならば、それに従う。『まだ闘う』ならば、それについていく。この人は、常識的な判断をすると思っているから……。2人で意見が分かれたときに、私が自分の考えを押し通すことはしない」

 幼稚園(現在は閉鎖)は、石巻市の中心部にある日和山(標高約56メートル)にあった。2011年3月11日の震災発生直後、園児を自宅に帰らせようとして、園は2台の送迎バスに子どもたちを分乗させ、発車させた。

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吉田典史 [ジャーナリスト]

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。


3.11を忘れない~大震災4年目の「今」を問う

この3月で、東日本大震災から丸4年が経つ。大震災が日本に投げかけた課題の大きさは、計り知れないものがあった。足取りの遅い被災地の復興、安住の地を見つけられない被災者、心に傷を負ったままの遺族、再稼働の是非について議論が真っ二つに分かれる原発政策、そして今なお抜本的な議論が行われない防災計画――。いずれも多くの課題が残されたまま、時だけが過ぎ、記憶は薄れてゆく。日常で震災関連の報道が極端に減った今、我々メディアは自戒の意味を込めて「大震災4年目の今」を問いたい。3.11は決して「昔話」ではない。そう、「昔話」ではないのである。

「3.11を忘れない~大震災4年目の「今」を問う」

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