「戦後70年の安倍談話」は本当に必要か首相は今年8月に戦後70年の安倍談話を発表する予定だ

 3月9日、都内のシンポジウムで北岡真一氏(国際大学学長)が「私は安倍さんに『日本は侵略した』と言ってほしい」と述べた。

 彼は“安倍談話”を検討している有識者懇談会の座長代理だ。

 この発言は、安倍晋三首相に言いたくても言えない外務省の意向を代弁しているように聞こえる。もしも談話が「侵略」や「植民地支配」を薄めるような内容になれば、国際社会から強い反発を受け、悲願の集団的自衛権の行使も誤解されて吹き飛ぶ恐れがあると考えているからだろう。

 一体、“戦後70年の首相談話”に内外の切実な要請があるのだろうか。とてもそうは思えない。

 今回談話を出せば戦後80年にも出さねばならなくなり、10年毎の首相談話が恒例化してしまう。

 私は、戦後60年(2005年)の小泉純一郎談話の発出についてもあまり賛同できなかった。

 なぜなら、内外の目は“歴史認識”の一点に集中し過ぎているからだ。内容が同じなら出す意味はなく、内容が違えば問題化する。どちらにしても政治的な成果はきわめて乏しい。

 05年の小泉談話は、靖国参拝によって内外から誤解を受けた小泉首相が、あらためてその歴史認識を内外に開陳する必要に迫られたもの。早くから予定されたものではなかった。

 この小泉談話は戦後50年の村山富市談話を踏襲したものと言われるが、実はそうではない。それはかねてから小泉氏独自の歴史認識であることを私は知っていた。