「無印良品」を展開する良品計画が、一時38億円の赤字抱えるまでに低迷した2001年に社長になった松井忠三氏。立て直しを図るため、社内業務から店舗業務まで、仕事のすべてを「仕組み化」してマニュアルを整備、業務を見える化する企業改革を断行し、結果、良品計画の業績はV字回復を遂げた。この「仕組み化」はいまや良品計画の経営の代名詞となっている。その松井忠三氏が今年5月20日、2008年から務めた会長を退任。経営改革とそれを支えた経営哲学を聞いた。
――松井さんは良品計画で社長を7年、会長を7年務められました。経営改革でやり残したと思うことはありますか?
松井 いや、今はとてもすっきりしています。僕は実質的に3代目の社長ですが、これまでは、混乱の中でトップを降りていた。業績がいい中でバトンタッチしていく形は初めてです。企業というのはこういう事例が意外に大事になる。歴史になっていくんですね。僕がきれいに引いて、歴史が作られていかなければと思っていた。だからこのタイミングでの退任になりました。
――最も大変だった時期はいつでしょうか。
松井 社長時代がやっぱりハードで。2001年に専務から社長になったのだけれど、専務に比べて社長の大変さは20倍くらい。最後に責任をとる、つまり「後にいない」というのが最大の理由ですね。
僕は社長就任早々、まずはリストラから入らなければならなかった。フランスの店舗を閉めて人員整理もしたし、売価で100億円分くらいの不良在庫を処分しました。燃やして処分したものもあります。かなり荒療治、外科手術的なことをしました。
そこで大変だったのは、リストラはしなければいけなかったが、復活するかどうかは全く見えなかったこと。やることをやっても本当にうまく行くんだろうか、と悩みました。でも、それを信じてやるしかなかったですね。ただ、そんな心境でもわかっていたのは、リストラで企業が復活することはない、ということです。
リストラしなければならないほど赤字になったのは、商品が売れなかったからです。そのときの良品計画は、「無印良品」というブランド誕生から20年経って、ブランドも育った結果、大企業病にかかっていて、モノを作る力が弱くなって売れなくなっていた。衣料品が売れなくなっているのを「衣料品部長のせいだ」という理由にしてしまう体質になっていた。企業体質が悪くなるとモノを作る力が弱くなります。お客さんの一歩先を行くような商品は作れなくなっていたんです。
じゃあ、勝てる構造はどうすれば作れるのか。それが大変でした。それが見え出すのは、改革に着手してから2年くらい経ってからです。結構時間は掛かりました。