「会社はトップのものではない」、「院政を敷くのは愚の骨頂」。65歳までには社長を引退すると決めて、昨年実行に移した安部会長が、トップの引き際について語り尽くす。(Photo by Kazutoshi Sumitomo)

アルバイトからトップに上り詰めた「ミスター牛丼」こと、吉野家HDの安部修仁会長のコラムがスタートする。初回はトップの引き際について、語ってもらった。(構成/フリージャーナリスト・室谷明津子)

次の経営陣には
一切口を挟まない

 社長になって足かけ22年。波瀾万丈の日々を終え、昨年8月末に、吉野家の社長を退きました。現在は会長職とはいえ、代表権はありませんし、経営は全て社長の河村泰貴に任せています。ときどき、河村社長と意見交換はしますが、具体的な見解は言わないようにしています。

 もちろん、私の意見を聞いたところで、自分たちが導き出した結論を変えるほどやわな経営陣ではありません。それでも、例えば結果が出た後に「そういえば会長は、ああ言っていた」という考えが頭をよぎることすら、良くないと思うのです。

 社長として判断し、実行した施策の結果は、痛みも喜びも全て自分のものとして引き受けてほしい。そうすることが次の施策にも生きると思うから、あえて口は出さない。いわば、成長を願う親心のようなものでしょうか。

 経営を任せてみると、びっくりすることも多いですよ。今、吉野家が売り出している「ベジ丼」や「ベジ牛」なんて、私だったら企画段階でボツにしちゃう。でもこれは、健康志向のシルバー層や女性といった新しい顧客開拓が狙いで、次世代にしかできない発想です。ですから期待しつつ、黙って見守っています。

 こういうふうに事業継承がスムーズにいく事例は、珍しいと言われます。確かに、周囲を見ると引退の時期も含めて、苦労している方が多い。あらためて、「トップの引き際」について私の考えを述べたいと思います。

 私の場合は、60歳から65歳の間に社長を譲ろうと決めていました。65歳を過ぎてもダラダラと居座るのはカッコ悪いと思っていたから、河村には早い段階から次期社長の打診をしていたのに、なかなか首を縦に振らない。河村は、自分の手で事業を回すことにやりがいを感じるタイプで、ホールディングスの経営は向かないと言い張っていました。

 それでも毎月、経営状況について議論をしながら、2年半説得を続けました。次期社長を任せるのは彼だと決めていたので、私も必死だし諦めない。最後は、組織のためにベストの選択肢だということを河村が理解し、腹を括ってくれました。

 時間はかかりましたが、2人で議論した時間はすごく濃密だったし、ことの重大さを分からずに承諾されるより、考え尽くした上での河村の覚悟は本物だと思っています。そして実際に退任したのは、64歳11ヵ月2週間。タイムリミットぎりぎりでした(笑)。