英国社会は現在でも階級社会である。王室があり貴族が存在し、政治家、ビジネスマン、学者など中流階級があり、労働者階級がいる。しかし、筆者の印象だが、階級間の関係は、必ずしも「上下関係」ではない。むしろ「違う世界」に生きているという感じだった。労働者階級は、確かに中流以上と比べて所得が低い。しかし、そのことに卑屈になっているようには見えなかった。

 英国には「レイバー・バリュー」という言葉がある。労働党のゴードン・ブラウンが首相だった時によく訴えていたことだが、「労働者の価値観を大事にしよう」ということだった。それぞれの階級が、別の価値観を持ち、別の世界で生きている。だから、草刈りのおじさんや、掃除婦のおばさんが、胸を張って、「あんたも忙しくて大変だね。身体を大切にしなよ」と、教授に気さくに話しかけるのだと思う。

「大学に行かない」という選択肢があることが
英国の大学での厳しい教育を可能にしていた

 英国の大学は、日本では一般的に「入学するのは難しくなく、卒業するのは難しい」と言われている(第88回)。これは、「入学試験は困難で、卒業は簡単」な日本の大学と正反対である。

 ただ、日本の大学は入学試験が厳しいといっても、大学数が約600あり、到底大学と名乗れないレベルの学校も多く存在している。多くの若者が「大学生」と名乗れるようになっているのだ。一方、トップレベルの大学であっても、できるだけ落第者・退学者を出さないように、さまざまな配慮がされている。

 教員は、学生がわかりやすいようにレベルを落として授業をするよう求められている。授業外でも、授業について行けない学生に対して、大学側からさまざまなサポートのシステムが用意されている。単位の取れない学生は、何度も呼び出して丁寧な個人面談をする。親にも連絡がいく。父母会を開催して、親に子どもの学びの状況を丁寧に説明する学校もある。

 なぜ、日本の大学がここまでやるのかといえば、日本社会では企業で「終身雇用」のステータスを得ることが非常に重要で、それには大卒の学位が必要だからだ。かつては、大企業にも高卒の方がいたが、いまやほとんどいない。大卒の学位を必要とする人が増えているから、そのニーズに応える形で、大学が粗製濫造されてきたのだ。

 一方、一流校とされる大学では、グローバル社会で競争力のある人材を育成することが求められて、欧米並みのレベルの高い教育カリキュラムを模索する動きがなかったわけではない(第88回)。しかし、厳しい課題を学生に課して、大量に留年や退学する学生を出してしまうと、大変なことになる。彼らは、企業で終身雇用のステータスを得られず、「非正規雇用者」となるしかない。それはおそらく社会問題となって、大学は厳しいバッシングを受けることになっただろう。

 文部科学省がスーパーグローバルとかスーパーサイエンスとか、さまざまな若者の競争力強化策を打ち出しているが、「大学からの落第者=社会からの落伍者」を出してはいけないということが、常に問題とされる。結局、どんな教育プログラムも、下のレベルの学生に合わせて、中途半端になってしまっているのだ。