「大学文系不要論」の騒動が止まらない。文部科学省が発信した「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて(通知)」の「教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むように努めることとする」という記述が発端だ。

「大学文系不要論」炎上に見る文科省の悪しきビジネスモラル「文系が必要か否か」はさておき、騒動そものものの経緯を考えてみると、日本社会全体にはびこっている深刻な病理が垣間見える

この記述に対して、「文系は必要である」、「議論が尽くされていない」、「通知を撤回せよ」という意味の反論が、経団連、日本学術会議、大学関係者、内外メディアから発信されている。

 この騒動の中で触れられてない、しかし、極めて深刻な根本問題があるように思えてならない。

収束しない「大学文系不要論」の騒動
過ちを認めず、不誠実に屁理屈を並べる文科省

 報道によれば、この通知が6月8日発信された途端、国内メディアがこぞって大学文系の要否を問う観点で取り上げる中、文科省は「文系廃止の意図はない」と火消しに躍起になった。

 経団連は9月9日に安易な見直しに反対する声明を出し、11日には当時の文部科学大臣が記者会見で、次の意味の説明をした。

○教員養成系を廃止対象としており、人文科学系を廃止対象としているわけではなく、見直しを求めただけだ
○通知の表現が、誤解を与える表現だった
○通知の文章は、一字一句全部チェックしているわけではない

 9月18日には日本学術会議でも議論された。ここで出た「通知を取り換えた方がいい」という意見に対して、文部科学省は「組織を見直す場合も、手続き上はいったん廃止してから新設するので、通知は間違いとは言い切れず、通知を撤回しない」というスタンスを示した。

 そして、新たに着任した元国語教師の文部科学大臣が、通知の国語力の問題であり、国語教員なら32点しかつけられないとして、通知の表現の問題であることを強調して幕引きを図ろうとしたが、依然、騒動は収束しないままだ。

 この騒動の経緯と内容をふまえると、私には、幾つもの極めて深刻な問題があるように思える。第一に、メディアで異論が唱えられ、その火力が強まってから、あわてて火消しに躍起になるという、お粗末な事後対応だ。

 その際も正面から議論せず、表現の問題であるとして、すり抜けようとする安易性と、一字一句チェックしているわけではないという、通知の発信人・発信組織の無責任性が垣間見える。そして、通知の撤回を求められても、屁理屈としか思えない抗弁に終始し、「誠実性の欠如」が甚だしい。