塾にはない
小学校という場のポテンシャル

―学校の内と外で「常識」が違うということがあるのでしょうか。

沼田 失敗の種をあらかじめ摘んでおいてしまうところはあるでしょうね。社会に出たら、一つのやり方が駄目だったら違うやり方を試してみようというのは当たり前だし、失敗から学ぶことの方が多いはずです。でも学校の場合は、なるべく失敗しないように初めから枠を決めちゃうんです。例えば、「大阪に行こう」となったら、だいたい「○時○分の『のぞみ』○号の○号車に乗る」というところまで先生が決めちゃうんですけど、僕の場合は「大阪に10時集合」としか言いません。新幹線でも飛行機でも、前日から深夜バスで行ったっていい。もちろん、そのやり方にはどんなリスクがあるかということを事前に子どもたちに理解させなければならないし、どこまで子どもたちに任せるかは教師と親御さんの間で調整することも必要です。でも、そうしてでもいろんなやり方があっていいんだということを子どもたちに知ってほしいんです。

 それに、到着するまでに子どもたちにはいろいろなことが起こります。その経験ももちろんですが、そのことを着いた先でみんなで語り合う。これもまた大切な経験なんです。

 算数の時間でも、塾に行ってる子どもは計算式を学んでいるからすぐに答えが出せてしまいます。でも早く答えを出すことよりも、「何でそうなるの」ってことを考えてほしいんです。塾を否定するつもりは全くありませんが、学校と塾ではできることもやるべきことも違います。学校は、そこで過ごす時間が格段に長い。僕ら教師は、もしかしたらお父さん・お母さんより子どもたちと長い時間を過ごしているかもしれないんです。仮に、授業中に答えが出なくても、どこかで埋め合わせできると思って教えています。授業という”点”ではなく、学校生活という”面”で考えて、急いで答えを出すよりも答えの出し方を学んでもらえるような時間の使い方を意識しています。