ソニー創業者の井深大氏も絶賛した『赤ちゃん教育――頭のいい子は歩くまでに決まる』。1983年刊は、アマゾンマーケットプレイスで、28,800円のプレミア価格がついた。
「0歳からの伝説の育児バイブル」としてリニューアルした『赤ちゃん教育』は、子育てジャンルのベストセラーになり、第6刷が決定。海外からも次々翻訳オファーが届いているという。
そして、いよいよ「ほかの本を読む前に、この一冊だけかならず読んでください」と、カヨ子ばあちゃんが熱く語る、注目の新刊『0歳からみるみる賢くなる55の心得』がリリース。
発売早々、Amazon.co.jpの単行本「総合ランキング1位」を記録。
11月29日の「読売新聞」と、12月7日の「日経新聞」に掲載され大反響となり、第3刷が決定。本連載も、累計76万PV(ページビュー:サイトの閲覧数)を突破した。
累計34万部突破の「カヨ子ばあちゃん」シリーズ。その中でも、ベストセラーとなった『カヨ子ばあちゃん73の言葉』『カヨ子ばあちゃんの男の子の育て方』『カヨ子ばあちゃんのうちの子さえ賢ければいいんです。』の3部作がギュッと1冊に凝縮された本というから、「スーパーBEST版」「ベスト・メッセージ集」と言っても過言ではない。
83歳「脳科学おばあちゃん」の熱いメッセージをお届けする。

「滅私奉公」の精神とは?

滅私奉公の精神で、<br />お母さんの努力は<br />必ず実を結びます<br />――自らの生を喜び、<br />「感謝の心」をはぐくむ心得15久保田カヨ子
(Kayoko Kubota)
1932年、大阪生まれ。
脳科学の権威である京都大学名誉教授・久保田競氏の妻で2人の息子の母。約30年前に、日本における伝統的な母子相伝の育児法を見直しながら、自身がアメリカ在住時と日本で実践してきた出産・育児経験をもとに、夫・競氏の脳科学理論に裏づけされた、“0歳から働きかける“久保田式育児法〈クボタメソッド〉を確立。この20年で3000人以上の赤ちゃんの脳を活性化させてきた。テレビなどで「脳科学おばあちゃん」として有名。2008年、株式会社『脳研工房』を立ち上げ、現在代表取締役。著書に、累計34万部突破のシリーズ『カヨ子ばあちゃん73の言葉』『カヨ子ばあちゃんの男の子の育て方』『カヨ子ばあちゃんのうちの子さえ賢ければいいんです。』『赤ちゃん教育──頭のいい子は歩くまでに決まる』『カヨ子ばあちゃんの子育て日めくり』(以上、ダイヤモンド社)などベストセラー多数。ズバッとした物言いのなかに、温かく頼りがいのあるアドバイスが好評。全国からの講演依頼もあとをたたない。
【株式会社脳研工房HP】 http://www.umanma.
co.jp/

 孫のために滅私奉公する精神は、現在ではほとんど見られないかもしれません。滅私奉公とは、自分の欲を捨てて、人のために尽くすことです。

 私のいままでの生き方で、この滅私奉公の教えと実践はとても役に立ち、すばらしい人生を送ることができましたが、最終的に死が近くなると、その満足感は些細なことと受け止めることができます。

 現在の私は、仕事も家庭環境も、夫への協力も子育ても、卒業しました。孫は息子が責任を持つことと定め、私の晩年の滅私奉公は、親をうまくあの世に逝(い)かせることに心血を注ぎました。

 私は、子どものころから辛抱強く、いったん決めたことに抗(あらが)うような言動はしませんでした。

 それでも父は私を「極楽とんぼ」と言い、母は「カヨ子ほど苦労をさせた子はいない」と言いました。

 しかし、私は、苦労を苦労と嘆かずにその時々をすごし、問題を解決してきました。

 現在では、曾孫の年にあたる赤ちゃんを日々見ていますが、畑仕事もサボり出し、体のあちこちにガタがきています。

今日抱いた子の表情を思い浮かべながら
エクササイズの日々

 向上は、坂道を上るように休みのない努力が必要ですが、老いた体は階段をおりるように衰えていきます。

 後ろ足が前足の下の階段まで届かず、後ろ足を浮かすと、残った前足は全体重を長く支えられません。

 赤ちゃんを泣かすときの、長く抱きしめる行動も危うくなりました。

 これまで私の筋肉は、年齢とは思えない強さを誇っていましたが、多くの赤ちゃんを抱いたり、障がい児などの硬直した体を抱きあげたり、抱きしめたりした翌日は、筋肉が硬く痛く、時には腰骨(こしぼね)にまで響き、動けなくなります。

 そういうときは、食欲すらなく、そのままにしておくと、筋肉がやせ細っていく感じがします。

 手近なエクササイズとして、1日5~6回お風呂に入り、手足に水圧をかけながら動かしています。さするようなマッサージ程度では、私の体はもとに戻ってしまいますので、「イタタ(痛い)!」と感じた瞬間を号令として、本格的なエクササイズを始めます。

 そして、今日抱いた子の目の表情を思い浮かべるのです。
 私の“泣き道場”で散々泣いた子が帰るときの、柔和な目つきが私の脳裏に浮かんでくるまで、号令を合図に自分の体を痛めつけます。