松下幸之助が実践した「弱さのマネジメント」の威力

 ビジネスでも、自己を強者と認識するか、弱者と認識するかで戦い方は異なります。劉邦の姿と重なるのは、なんといっても松下電器産業(現パナソニック)を一代で築いた松下幸之助氏の生涯でしょう。

 父親が米相場で破産したため、九歳で丁稚奉公に出た幸之助は、人間関係の中で成功するには「独り勝ち」を避けるべきことを学びます。また、病弱のため人に任せる経営ができる組織体制を重視し、細かく部門化して責任者に指揮をさせました。

「マネシタ電器」と呼ばれたのは、代理店販売網による売る力で、他社が開発した新製品に一工夫をした商品を開発、後追いでも販売力で競り勝ってしまう松下独自の販売戦略からつけられた呼び名でした。

・自己を「強者」と考えて振る舞う(問題に真正面からぶつかり、他者を支配する)
・自己を「弱者」と考えて振る舞う(問題を迂回し、他者から協力と貢献を引き出す)

 昭和初期の世界大恐慌で、幸之助は危機に社員をリストラせず、工場を半日操業にして生産調整し、工員を営業に回して一人もクビにせずに不況を乗り切ります。このような「人心を掌握した経営」が松下電器社員を団結させ、猛烈な努力を引き出したのです。

 他社の優れたアイデアをすぐ取り入れたのは、無駄な自己のプライドを持たず、自らを弱者と考えて人を徹底活用する姿勢の賜物です。弱者の自己認識を武器とするマネジメントの威力で松下電器は勝ち、世界的な電機メーカーとなったのです。

 劉邦が項羽に勝ったのは、自分一人ですべてを行えないという優れた見切りです。自己を弱者と見極め、参謀の張良や韓信などの優れた武将を引き立て活躍させることで、山を抜くほどの力を持つと自ら豪語した項羽を倒すことに成功したのです。

(第5回は4/1公開予定です)