すばらしいビジョンを掲げると
強大なパワーが生まれる

 さらに、従業員のモチベーションをアップさせるために、私が取り組んだことが、「ビジョン」を掲げるということでした。

 私は、京セラがまだ中小零細企業であったときから、夢を語り続けました。「私たちがつくっている特殊なセラミックスは、世界中のエレクトロニクス産業が発展するために、どうしても必要になる。それを世界中に供給していこう」「そうすることで、ちっぽけな町工場で始まったけれども、私はこの会社を、町内一番、つまり原町一番の会社にしようと思う。原町一になったら、中京区一になろう。中京区一になったら、京都一になろう。京都一になったら日本一になろう。日本一になったら世界一になろう」

 京セラは、京都市中京区西ノ京原町で創業しました。ですから「原町で一番」と言ったわけですが、間借りの社屋で、従業員数十人、売上も年間一億円もない零細企業のときから、「日本一、世界一の企業になっていこう」と、ことあるごとに従業員たちに話していたのです。

 しかし実際には、最寄りの市電の駅から会社に来るまでのわずかな距離に、京都機械工具という大きなメーカーがありました。朝から晩までトンカチ、トンカチと音がして、いかにも活況を呈していました。自動車の整備に使うスパナやペンチなど車載工具をつくっていた会社でした。こちらは木造の倉庫を借りてヒョロヒョロと操業を始めた、できたばかりの会社でしかありません。

 ですから、西ノ京地区で一番になろうと言っても、従業員たちは「会社に来るまでに前を通る、あの会社よりも大きくなるはずがないではないか」という顔をして、聞いているわけです。かく言う私自身も、言い出した当初は、本当にできるとは思っていないのです。

 ましてや「中京区一になろう」と言ってみたものの、中京区には後にノーベル賞受賞者を出した、上場企業の島津製作所がありました。分析機器では世界的に有名な会社でした。中京区一になるには、その島津製作所を抜かなければなりません。それはもう、とても不可能な話でした。

 それでも、「中京区一になるんだ、京都一になるんだ、日本一になるんだ、世界一になるんだ」ということを、私は倦うまず弛たゆまず、従業員に説き続けていったのです。

 すると、初めは半信半疑であった社員も、いつしか私の掲げた夢を信じるようになり、その実現に向けて力を合わせ、努力を重ねてくれるようになったのです。また私自身も、そのことを確かな目標とするようになっていきました。その結果、京セラはファインセラミックスの分野では、先行する巨大企業を凌駕し、世界一の企業に成長するとともに、多くの事業を展開し、売上が一兆円を超えるまでに成長していったのです。

 企業に集う人々が、共通の夢、願望をもっているかどうかで、その企業の成長力が違ってきます。すばらしいビジョンを共有し、「こうありたい」と会社に集う従業員が強く思えば、そこに強い意志力が働き、夢の実現に向かって、どんな障害をも乗り越えようという、強大なパワーが生まれてくるのです。

 この夢、願望に至るパワーの原動力こそが、「ビジョン」なのです。「会社をこのようにしたい」というビジョンを描き、それを従業員と共有し、そのモチベーションを最大限に上げていくことが、企業を発展させていくにあたり、大きな推進力になるわけです。

『稲盛和夫経営講演選集 第6巻 企業経営の要諦』、「企業統治の要諦」より抜粋