デモクラTVで『朝日新聞』記者だった早野透と「寅さんとボク」という対談をやっている。意外に好評だというが、今回は往年の名女優がマドンナだった作品について語った。

 トップバッターが岸恵子で次に若尾文子、京マチ子、そして八千草薫である。早野と私は吉永小百合と同じ1945年生まれだが、岸や若尾は私たちのほぼひとまわり上になる。

才気だけの人でもない、
美貌だけの人でもない

 岸とは雑誌で2回対談し、彼女がホストの神奈川テレビの番組に2度招かれた。

 その時のことを話していたら、早野が「だんだん不愉快になるな」と冗談まじりに言う。

 岸と最初に対談したのは集英社で出していた『BART』という雑誌で1994年である。この時は横浜の岸宅に招かれ、手料理をごちそうになった。

 その5年後、『パンプキン』(潮出版社)でやっていた私がホストの対談に来てもらったが、その時、私は「対談前記」にこう書いた。

「『雪国』の駒子に扮した岸さんをスクリーンの中に見たのはいつのことだったか。いずれにせよ、遠い人だった。その遥かなスターを身近に感じたのは、岸さんのエッセイ集『巴里の空はあかね雲』(新潮社)を読んでからである。そこには、才気だけの人でもない、美貌だけの人でもない岸さんがいた。

 まさに体当たりの取材で書いた岸さんの『ベラルーシの林檎』(朝日新聞社)は、日本人の閉鎖性を開く見事なテキストブックだと思うが、それを読んで私は是非にと対談を申し込んだ。5年ほど前のことである。そのときは自宅に招いてもらって、手料理までごちそうになった。

 はじけるような岸さんの元気はまったく変わっていない。日本人のやわさ、愚かさを突く舌鋒の鋭さも変わっていないが、これからは日本にとどまって、この国の危うさを指摘してほしい。辛口などといわれる私より、対手に与える効果はずっと大きいだろうから」

 それに対する岸の「対談後記」がこうである。