1991年にバブル経済が崩壊し、やがて「失われた10年」という言い方が聞かれるようになり、いつの間にかそれが「失われる20年」へと変わった。悲哀のニュアンスがその20年という言葉から滲み出る。

 ところで、この表現も来年で満期になる。まさかこの先「失われる30年」という時代のくくり方はないだろう、と当の日本人以上に最近の私は焦っている。私の人生の中でもっとも価値のある部分がその30年と重なってくるからだ。日本に来てからの人生は、ずっと低迷する所持株の株価と利息がまったくついて来ない銀行預金と同じようなものだと思えてしまう。

 しばらく前は、日本の地方は大変だが、東京はまだ大丈夫という論調がよく聞かれ、私もそう信じていた。しかし最近、都内を歩き回ってみて、そのわずかな自信も打ち砕かれてしまった。

 5月連休のある日、妻を連れて神宮球場辺りから青山通りを散策した。1990年代初頭、私の日本語による初めての作品を出版してくれた河出書房新社がそのあたりにある。閑静なこの界隈に漂う上品さにずっと心惹かれていた。四角い建物が多い東京だが、ユニークな建物が多い。散歩しながら目を楽しませてくれる。

 しかし、今回の散策は驚きの連続だった。以前、好きでよく立ち寄っていた骨董品屋が消えていた。空き店舗が隠せないほど目立っている。

 先日、六本木に新しい四川料理のレストランがオープンし、そのオープニングパーティに呼ばれた。現地に着いてまたショックを覚えた。東京タワーにまっすぐに通じる六本木のメインストリートなのに、空き店舗が続いている。テナントを募集する案内が空しく壁に貼られている。