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日本人が知らない本当の世界経済の授業
【第10回】 2016年6月9日
著者・コラム紹介バックナンバー
松村嘉浩

ロバの尻尾事件とアンディ・ウォーホル:アートはこうして“色のついた株券”になった

各方面から絶賛されたストーリー仕立ての異色の経済書に、1冊分の続編が新たに加えられた『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』が発売され、大きな話題を呼んでいます。

その一部を紹介し好評を博している本連載もいよいよ佳境に。世界中で起きるテロ事件とコインの裏表の関係となる「アート作品の高騰」の背景に迫ります。
(太字は書籍でオリジナルの解説が加えられたキーワードですが、本記事では割愛しております。書籍版にてお楽しみください)


 

ユダヤ系アーティストが主導した抽象表現主義

 「ねえ、明日のお昼はシェイクシャック行きたいな~。あと、朝ごはんはエッサベーグルね。SATCに出てきたレストランも行ってみたいし~。ねえ、聞いてんの?」

ニューヨークに向かう飛行機の中で沙織は、マンガに没頭する絵玲奈に話しかけた。ニューヨークに行くというプランを親友の沙織に持ちかけたら、意外にも即答でOKだった。子供のころニューヨークにいた沙織は小学校のときの友達がいて、もともと機会を見てニューヨークに会いに行きたかったらしい。絵玲奈の提案は渡りに船だったようだ。

 「何読んでんの?『ゲゲゲの鬼太郎』?えらい古いマンガ読んでんのね」
沙織はあきれて言った。

 「うん、これ教授の課題図書なんだ」

“飛行機の中で時間あるでしょうから、これでも読んでおいてください”と渡されたのだった。

 「まじで(笑)。オタク教授はあいかわらず意味不明だね。まあ、いいや。とりあえず、お店はお任せでいいよね」
料理研究家の母を持つ沙織は食べ物にうるさい。

『ゲゲゲの鬼太郎』に飽きて、絵玲奈は時計を見た。

まだ4時間しか経ってないのか……。あと8時間の長旅に絵玲奈はぐったりして、うとうとし始めた。絵玲奈は、夢の中でゼミの内容を思い起こした。

            ◆      ◆

 「……アートについて説明しましょう。アートの中でも現代アートというのはアメリカの覇権を象徴するものなのです。第2次世界大戦で本土が傷つかなかったアメリカは覇権国への道を歩むわけですが、覇権国にふさわしい“文化”がありませんでした」

 「アメリカは新しくできた国で歴史がないからですか?」

 「そのとおりです。アメリカは、ヨーロッパであぶれた人たちや、迫害された人たちが集まってきてできた新しい国家で、ヨーロッパと違って世界に誇れるような文化がなかったのです。ところが、第2次世界大戦でヨーロッパが疲弊し、それまでの覇権国だったイギリスはその地位をアメリカに明け渡します。ある意味、田舎者だったアメリカが経済や軍事で世界のリーダーになったので、今度はリーダーにふさわしい文化を持とうとしました。そこで、それまでのアートの中心だったヨーロッパに対抗して、現代アートをアメリカで生み出すのです。

 ちなみに、アートに国家が介入する動きは戦前からありました。第2期ニューディール政策の一環で、連邦美術計画という失業芸術家支援が公共事業で行なわれたのです」

 「アートで公共事業をやったんですか?」

 「はい、そうなんです。5000人~1万人が雇用され、20万点もの、さまざまなポスター・壁画・絵画・彫刻が作成されました。それらの作品は公共機関や学校や病院などに飾られ、2000以上のビルの壁面を覆い、パブリック・アートがいくつも誕生したのです。この計画で支援された芸術家の中には、ジャクソン・ポロック、ウィリアム・グロッパー、ウィレム・デ・クーニング、ベン・シャーンというような、のちに有名になる作家が含まれています」

 「ずいぶんと大盤振る舞いしたわけですね」

 「そうですね。そのおかげで美術作家が生活を維持することができるようになり、ヨーロッパからも美術家が流入します。人的資源も多く獲得できたのです。その中には、さっき名前を出したような戦後のアメリカ美術の隆盛を支え、ヨーロッパ美術の影響からの脱出を成し遂げた抽象表現主義などの作家たちが生まれたというわけです。

 その後、アメリカは世界のリーダーになるわけですが、第2次世界大戦後の対抗勢力は共産主義=ソ連になるのです。いわゆる東西冷戦といわれた時代です。そして冷戦時代にある有名な事件が起きます。ソ連のフルシチョフ第一書記が訪米した際、ある抽象画展覧会を観て『まるでロバの尻尾で描いた絵だ』と酷評した、“ロバの尻尾”事件(1962年)です。フルシチョフは、アメリカを侮蔑したつもりだったのかもしれませんが、逆に田舎者の共産主義者には抽象画はわからないというのが露呈したわけです」

 「なんだか、田舎者同士のツバの掛け合いみたいですね」

 「たしかに(笑)。これを契機にしてアメリカで生まれた“共産主義者には理解できない”抽象画——そして抽象表現主義を、アメリカの文化として世界に知らしめる戦略に乗り出すのです。

 また、抽象表現主義をアメリカの文化としようとしたのは、それまでのアートの中心だったヨーロッパの芸術の価値を否定しようとする意味合いもあったわけです。アメリカが、現代アートの推進を国策にしようとした一番わかりやすい例も紹介しましょう。1964年にアメリカのアーティストのロバート・ラウシェンバーグヴェネツィア・ビエンナーレで最優秀賞を受賞して“アメリカン・ポップの来襲”と騒がれたのですが、このときなんとアメリカ政府は、軍艦で作品を運び込んだのです」

 「軍艦ですか?アグレッシブすぎです!」

 「そうなんですよね。重要な点は、こうしたアメリカの現代アートを主導したのが、第2次世界大戦の最中にアメリカに亡命してきた大勢のユダヤ系のアーティストたちだということです。彼らは、抽象表現主義なのです」

 「ユダヤ系?抽象表現主義?わからないです」

 「ほら、ユダヤ教の世界は、偶像崇拝が禁止されているじゃないですか。ユダヤの絶対神のヤハウェは抽象的な存在で、仏像のような具体的な表現ができないわけです。だから抽象画が発展するんですよ」

 「なるほど~!そういうことなんですね。絵と宗教が関係しているなんて想像もしませんでした」

 「じつは密接な関係があるのです。逆にヨーロッパのキリスト教の世界では、教会を飾る壁画などのニーズがあって具象が発達しました。アートの世界も詰まる所は経済と同じで、需要が重要というわけです」

 「いかに芸術だといっても、お客さんがいないと自己満足で終わっちゃいますもんね。キリスト教はお客さんが教会だったから、その需要に合う絵が発展したわけですね」

 「はい。そしてアメリカに亡命してきた大勢のユダヤ系のアーティストたちにとっては、ソ連や芸術の本場のヨーロッパと対抗しなきゃいけない成り上がりの国のアメリカの政府がすごくオイシイお客さんになったわけです」

 「なるほど。それでヨーロッパとも違う、そしてソ連にはわからないような新しい世界をつくることができるユダヤ系のアーティストが活躍するわけですね」

 「そのとおりです。そして、クレメント・グリーンバーグというユダヤ系の美術評論家が、一般にはわかりづらい前衛的な抽象表現主義に、理論的権威を与えたのです。それは国策に加担した文化的プロパガンダだと、後から大いに批判されることになるのですが」

 「つまり、一般庶民には子どもの落書きのように見えるわけのわからない絵かもしれないけど、高尚な人間が見ればすごい価値があるんだよ、というような宣伝をやったってことですね」

 「はい。そして、それに成功するとユダヤ系のアート業界は次のステップを踏み始めました。それは、アートの世界に市場メカニズムを導入し、大衆を含めた市場の拡大を目指したということです。

 “市場”というのはユダヤ系の得意分野です。それも宗教的な背景から生まれています。キリスト教やイスラム教は原則的に利子を認めていません。つまり、おカネからおカネを生むというのは、汗をかかずに得た利益であり、道徳的に認められない卑しい仕事だという考えがあるため、おカネの世界とキリスト教やイスラム教は距離があったわけです。それに対して、ユダヤ教にはそのような制約はありませんでした。ですから、ユダヤ人は他の宗教の人がやらない金融業などの市場関係の分野に大いに進出するのです。シェイクスピアの『ヴェニスの商人』って読んだことありますか?」

 「ないです……」

 「暇があれば読んでみてください。シェイクスピアがユダヤ人の金貸しを、すごくディスっているんですが、キリスト教世界において、ユダヤ人がどのように思われていたのかがよくわかりますよ。

 というわけで、次のステップとしてユダヤ系の人たちは、アートの市場をつくり始めるのです。それまでのヨーロッパのアートはお金持ちの特権的世界で、1枚1枚の絵に対して価値をつけていたので明確なアート市場はなかったわけです。

 ここで、アンディ・ウォーホルの登場となります。ヴァルター・ベンヤミンが『複製技術時代の芸術』という本を書いたように、アート市場をつくったユダヤ系の人たちはシルクスクリーンのように複製印刷されたものにも価値を生むようにしていきました。繁栄するアメリカの大衆の“アートを家に飾って見せびらかしたい”という欲望を煽り、同時に大衆にも手が出せるアートを創造したわけです」

 「アートがわかる。カッコイイって具合ですね」

 「はい。アメリカはホームパーティ文化ですから、リッチになってくるとそれにふさわしいものが欲しくなるわけです。

 アートの需要というのは、他の財とはかなり違った性質があります。というのは、お金持ちであることを示すステイタスとしては高級車とかいろいろありますけど、アートというのは、数に限りがあるわけですから高級車のようにおカネがあれば必ず買えるというものではないという点です。しかも車だと即物的で俗物っぽいですが、アートだと教養があって本当の意味でリッチだということを示すことができるわけです。でも、そうはいってもみんなが知らないような作品だったら、寂しいですよね」

 「たしかに! だれも知らない作品だったら、見せびらかしても、“ふ~ん”で終わっちゃいますよね」

 「というわけで、みんなに価値がわかるようなものである必要があるのです。そこでアンディ・ウォーホルのシルクスクリーン作品のように、みんなが知っている複製印刷されたものにも価値を生むようにしていったのです。

 現在においても、世界的に活躍している現代アートの作家の多くはルネサンス時代のような工房作家です。工房でスタッフを使い、作品を量産できることが求められています。そうしてたくさんの作品が作られることで流通市場が発達し、アートの世界に本格的なマーケットが生まれるのです」

 「なるほど~。アメリカで新しい仕組みが生まれたわけですね」

 「はい。しかしそうなると、逆に市場原理がアートの世界を動かすようになっていきます。本来は、アートの取引はアートそのものの価値を判断して決められるべきですが、市場での取引がアートの価値を決めてしまうことになるわけです。市場が万能でフェアな価値を見出せるのであればよいのですが、必ずしもそうではないので、わかりやすい反面いろいろな副作用も発生してくるのです」

 「ですよね~。株や為替みたいなものならまだしも、市場とアートってムズカシイ気がしますけど」

 「というわけで、市場原理が得意なユダヤ系の人たちの活躍で、アートが芸術的な価値から乖離して一人歩きを始め、まるで“色のついた株券”のようになっていくのです。そして現在においては“アート産業”ともいえる発展を遂げています。

 さて、今回、ニューヨークに行って見て欲しいのはこうした事実です。覇権国アメリカがつくり上げた特殊な“世界観”が現代アートの世界に凝縮しているのを体感してもらえば、今の世の中の問題が見えてくると思うのです」

           ◆      ◆

絵玲奈たちは、定刻の午後4時にニューアーク・リバティ国際空港に着いた。

電車でマンハッタンに向かったが、その乗客たちが本当に多様な人種で、絵玲奈はニューヨークが人種のルツボであることを体感した。そして、覇権国の首都がコスモポリタンな場所になるという教授の言葉を思い出した。

 「明日からのスケジュールは?」
ホテルに着いて荷物を整理しながら、沙織は絵玲奈に訊いた。

 「とりあえず、明々後日に教授と会ってクリスティーズのオークションを見学させてもらう前に、美術館に3つほど行かなきゃいけないんだ。あと、チェルシーのギャラリーにも。それが課題なの」

 「絵玲奈、いつから美大生になったの。ほんと、あのオタク教授って変人なんだね~」

アートにまったく興味のない沙織はあきれかえって言った。絵玲奈は親友の沙織には、最初のゼミ選択で相談したこともあって、教授との不思議なゼミのことを話していた。もちろん、他言しない約束でだが。

 「まあ、1つぐらいは付き合うけど、正直そこまで興味ないから、小学校のときの友達と会ってこっちは勝手にやってもいい?」

 「もちろん構わないよ」

 「OK。じゃあとりあえず、ごはん食べに行こうよ。今日の晩ごはんの予約はオープンテーブルでキャンティーナ・ルーフトップっていうメキシカンをとってあるんだ」

 「さすが沙織。ごはんは万全だね」
マンハッタンの西側、ハドソンリバー沿いの店からはニューヨークの夜景が広がっている。

 「うわ~。きれい」
思わず絵玲奈は声を上げた。

 「でしょ。夜景きれいでしょ」

 「さすが沙織。ナイスチョイス!でも、ほんとにニューヨークって高いビルだらけなんだね~。あれが、エンパイアステートビル?」

 「絵玲奈は、ほんと高いとこ好きだよね~」

 「どうせ、バカと煙は高いとこにのぼるって言いたいんでしょ」

 「エンパイアステートビルは、絵玲奈みたいなお上りさんのために夜中までのぼれるみたいだから、このあと行ってみようか?」

2人は名物のマルガリータを注文して、ニューヨーク最初の夜に乾杯した。

 

 

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松村嘉浩(まつむら・よしひろ)

1989年神戸大学経済学部経済学科卒(数理経済学専攻)。
1989年にゴールドマン・サックス証券に入社し、メリルリンチ証券を経て、1996年にドイツ証券に入社。
ドイツ証券で円債トレーディング部長を務めた後、バークレーズ・キャピタルに移籍し2011年に引退。
主に円債トレーディングおよび自己勘定トレーディングに従事。
2015年に今回の新著の前半部分となる『なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』を発表し、話題を呼んだ。


日本人が知らない本当の世界経済の授業

投資家、経営者、コンサルタント、アートディレクター、官僚、学生など、各方面から絶賛された異色の経済書に、1冊分の続編が新たに加えられた『増補版なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』が発売されました。この連載ではその内容の一部とともに、同書の示す未来と世界観を別の角度から紹介します。

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