紀元前から人類は図書館と共にあったが、それは場所が戦地にあってもかわらない。人はいかなる時であっても──というよりかは、過酷な状況にあってこそ書籍を求めるのかもしれない。
本書『戦地の図書館 (海を越えた一億四千万冊)』は「第二次世界大戦時に、強いストレスに押しつぶされそうになっている兵士たちの心を癒やすため、海を渡って兵隊らに行き渡った書籍」についての歴史である。この運動は市民や図書館といった多くの人の手によって集められた本に加え、兵隊が持ち運びをしやすいように、兵士専用にあつらえられた兵隊文庫がつくられることで本の形態も変化させていった。それは後の出版文化にも大きな影響を与えていくことになる。
また、そうした一連の運動は、1933年からドイツで行われていた非ドイツ的なものを排除する思想統制の目的にて行われた政府公認の焚書(最終的にはこの焚書によって1億冊以上が塵となったという。)にたいする思想的な抗議/抗戦の意味も持っていた。ドイツの焚書に対抗するようにして、アメリカ軍兵士には1億2000万冊以上の本が無料で供給されたのだという。
本は思想的な武器でもあった
そもそもなぜ、本が送られたのか? 別のものではダメなのか? と疑問に思うかもしれないがこれに答えるのは簡単だ。戦場ではスポーツの道具はなく、映画もみられず、ひとりになる空間も与えられることはない。何より緊張が続く。そんな状況で本はひとりで読む/ひとりになることができ、「現実からの逃避」を可能にする恰好のツールであった。第一次世界大戦時の調査によると、本を読むと気分転換に加え心身の健康を回復させるという結果も出ているのである。
もちろん、戦場へと書籍が供給されたのは第二次世界大戦時のアメリカだけではない。たとえばアメリカで有志の組織によって戦場へと書籍を送る活動が最初に行われたのは南北戦争の時だし、第一次世界大戦時はさらにその規模は拡大している。とはいえ、第二次世界大戦時ほどの物量(何しろ1億2000万冊以上だ)で行われたことはかつてなかったと断言してもいいだろう。
とはいえ簡単にそれだけの冊数が集まるわけでもない。国家防衛図書運動と名付けられたその活動は、最初の目標を1000万冊の本を集めることに定め、新聞社やラジオ局に協力をもちかけ、市民もそれに答えた。ある人は人力車で一戸ずつ集めて回り、牛乳配達人は配達ついでに本を回収した。大学の卒業式では、兵士に送るための本を集め山と盛って、ドイツの焚書に対して思想的なカウンターを狙っている。ルーズヴェルト大統領が演説で『私たちは、この戦いにおける武器は本であることを知っている。』と述べているように、本は思想的な武器でもあったのだ。