低学歴でも幸せな米国人と、高学歴でも不幸せな日本人の格差学歴に人生を左右されない米国人と比べて、学歴に人生を重ねてしまう日本人の「落とし穴」とは何か

 今回は前回に引き続き、早稲田大学名誉教授で心理学者・作家の加藤諦三さんに、学歴に翻弄されない会社員の生き方をテーマにして取材したやりとりの模様を紹介したい。

 加藤さんは「日本の学歴をめぐる議論には誤解がある」と指摘する。その誤解を紐解くと、日本人がしている、自分を否定しかねない努力や生き方が浮き彫りになってくる。それは、紛れもなく学歴病の症状の1つと言える。

 悩める多くの人の心を掴んできた加藤さんが説く、「学歴に翻弄されない生き方」とは何か――。読者諸氏も一緒に考えてほしい。


日本はアメリカほど学歴社会ではない
価値観に多様性がないことが問題

筆者 私が今回取材依頼をする際、メールで連絡を差し上げたところ、加藤先生は「日本の学歴社会の議論には誤解がある」と、返信のメールに書かれていらっしゃいましたね。

加藤 ええ、その1つが日本は「アメリカより学歴社会ではない」という事実です。アメリカのほうが、はるかに学歴社会と言えます。日本の場合は、社会の価値観などに多様性がないことが問題なのです。

筆者 アメリカでは、どのような状況なのでしょうか。

加藤 たとえば、1982年のギャラップの世論調査で、一世帯当たりの所得満足について調べたものがあります。そこで「大変満足している」と答えた人を学歴別に見ると、「大学卒業」は48%、「高校卒業」は41%、「中学校卒業」は41%と、いずれも40%台なのです。

「私的生活で物事はうまくいっているか?」という問いについても、満足している人の割合は学歴によってさほど変わりません。「大学卒業」で85%、「高校卒業」は72%、「中学校卒業」で70%ですから。

筆者 中卒と大卒の数字にも大きな差はないのですね。

加藤 アメリカでは、物事がうまくいかないときに「どうせ、俺は学歴がないから」といった言い訳はしていないのだと思います。周囲の人も「学歴があるかないか」をあまり問題にしていないのでしょう。

「学歴があるかないか」という事実が問題ではないのです。その事実をその人がどう解釈するか、周囲の人がどのように認識するか。これらが問題であることを示している調査結果なのです。