テレビでも話題の脳科学者で『努力不要論』などベストセラーを連発する中野信子さんと、世界初の感情認識パーソナルロボット「Pepper」の元開発リーダーで初著書『ゼロイチ』を出した林要さんによる対談。近年、日本でゼロイチ(イノベーション)が起きない理由とは?そして「好きなことだけ努力する」ために必要なこととは?脳科学者とロボット・プロデューサーがそれぞれの見地から語り合う(構成:前田浩弥、写真:榊智朗)
「鎖国」によって、日本人の遺伝子は変わった?
中野信子さん(以下、中野) 今、世の中は「努力は大事なんだ」「人より早く何かを身につけろ」「戦って勝つために学べ、鍛えろ」というふうに、競争をあおりがちだと感じます。でも、人間が生き延びるための戦略は「強いこと」ではなく、「自分の弱みを理解していかせる能力」だと思うんですよね。それなのに、「一方向を向いて努力しろ」と言われる状況にとても違和感を覚えるんです。
林要さん(以下、林) その風潮の根本にあるのは、やはり日本の教育の在り方なのでしょうか?だとしたら、考え直さなければいけないですよね。
中野 日本の教育の根本は「軍隊教育」なんです。兵士をつくるための教育だから、突出する人がいてはいけないんですね。命令系統を忠実に守って戦う人が優秀なのであって、ゼロイチなんかやられたらそれはもう「クーデター」の萌芽になりかねない。そんな人がいたら困るわけですから、一方向を向いてみんなが従うように教育してきたんです。
林 でも、日本は戦争を放棄し、今やグローバル社会になって、その教育では世界で勝てないって僕たちはもう気づいています。
人間がなぜ、同じ民族の中でもいろいろな個性を持っているのかというと、これも適応性の一種で、いろいろな個性を持っている人がいたほうが「人類」として生き延びやすかったからなんですよね。だからたまにいる、集団には馴染まない「超個性的な人」というのも、人類としてはとても意味のあることなのであって、画一的な教育にはめ込んでしまうのは、人類としての生きる可能性を殺してしまうことにつながると思うんです。
中野 そう思いますね。この対談の第1回で話したように、日本はただでさえ、セロトニントランスポーター(神経細胞がいったん放出したセロトニンをリサイクルするたんぱく質。これが多い人は楽観的で、少ない人は心配性である)が少ない人が集まった国なんです。その上、このような教育が染みついてしまった。
林 ゼロイチが生まれにくい環境が重なってしまったんですね。
中野 そうなんです。そして、そもそもなぜ、セロトニントランスポーターが少ない人が日本にこんなにも濃縮されてしまったのかを考えてみると、おもしろいんですよ。
日本では、セロトニントランスポーターが少ないタイプの遺伝子の割合は約8割。アメリカは4割ですから、約2倍です。こんなにも差がつくには、400年くらいの年月がかかるんですね。すると400年前、江戸時代の日本には何が起こっていたのでしょうか。
林 鎖国……ですか?
中野 正解です。ただでさえ島国なのに、鎖国した。人間の流動性が低いですから、長期的な人間関係が続く。藩や村という、自分がいるコミュニティ内でどう生き延びるかがすごく重要だったんです。「生き延びる」というのは、「自分自身がどう生きるか」もそうですし、「遺伝子をどう残すか」という問題でもある。村八分に遭うと、遺伝子を残せませんからね。社会的な配慮ができる、できないが、そのまま遺伝子を残せる、残せないにつながってくる。必然的に、楽観的でリスクをどんどん取る傾向にあるセロトニントランスポーターが多いタイプの血が途絶えてきて、少ないタイプの血が増えていったんですね。
林 なるほど。
中野 そしてもう1つ、日本の特殊性として、災害が多い国だったことも見逃せません。
災害が多いとどうなるか。2011年の東日本大震災や、今年4月の熊本地震でも「不謹慎バッシング」が起こったのは記憶に新しいでしょう。社会が危機に陥り、「世のため人のため」と思う気持ちが高まると、バッシングする力も高まるんです。日本には義理人情に厚くて、人の気持ちを汲むことができて、共感性が高い人が多くいる。だから「社会のために」と思って、目立ったことをする人をバッシングするんですよね。
林 僕らの頭の中には、そのような要素が組み込まれているわけですね。
中野 そうです。「人のために何かしたい」という優しい気持ちや、正義感の強い人ほど、そうしない人に対して不寛容になるんですね。江戸時代はとくに災害を多く受けましたから、目立ったことをする人、自分だけ得をしているように見える人はバッシングされて、生き延びにくい社会だったんです。
林 島国の中で、人間の大きな移動もなく、階級も固定されていて、鎖国もしていて、更に地震など天災も多かった。日本の特殊性が際立ちますね。