「逝き方」の手前の話
最新号の『週刊ダイヤモンド』(2016年8月6日号)は「どう 生きますか 逝きますか」と題された介護・死別・終末期などの特集だ。死生観から、墓・葬式、終末期の働き方、介護など、誰にでも一度は訪れる大事な問題を取り上げている。本欄の読者には、自分自身の問題としてよりも、親御さんや家族の介護等の問題に現在形で関わっておられる方も多かろう。
本稿の主題には直接関係ないが、北海道にある筆者の実家では(父・母共に高齢だが存命だ)、ここ数年の間に、母親が「寺断ち」・「墓断ち」を進めてくれたので非常にすっきりした。
長年関わりのあったお寺であったが、住職が代替わりして商業主義的な側面ばかりが見え、「有り難み」が薄れるだけでなく、邪魔になってきた。お寺の境内にあった墓を撤去し、遺骨を近海に散骨し(親切なNPOの協力を得た)、寺との縁を完全に切り、自宅の仏壇も撤去した。縁の近いご先祖様たちはフォトフレームに入った写真として実家で毎日子孫(私の親)と対面している。「仏壇に閉じ込めておくよりも、遙かに身近に感じられて、心が通う」と母は言う。息子としては、今後、「寺」や「墓」と関わる必要が一切なくなり、気分が爽やかで、大変ありがたい。
さて、今回は、「逝く」よりも手前の話だが、高齢者のマネー運用について、留意事項をお伝えしたい。「終末」あるいは「相続」まで辿り着く手前で、お金で失敗をしないようにという話だ。
実は、日頃、資産運用について本や記事を書くことの多い筆者なのだが、近年、あらためて親の財産状況を見ると、息子が言っていることとはほど遠い状況が幾つか見えてきた。