三流の維新 一流の江戸
【第11回】 2016年12月30日 原田 伊織

なぜ、500円札に
岩倉具視が採用されたのか?

江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?
ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。
『三流の維新 一流の江戸――「官賊」薩長も知らなかった驚きの「江戸システム」』が話題の著者に、「知られざる500円札の謎」を聞いた。

明治維新解釈のポイントは
「大政奉還」と「王政復古の大号令」

原田伊織(Iori Harada)
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など

 明治維新解釈のポイントは、所謂「大政奉還」と「王政復古の大号令」にある。
 官軍教育の歪みも、この二点の史実をあからさまにすれば大筋に於いて明白になるのである。

 私たちが教えられてきた幕末動乱史は、驚くほど単純化されている。
 それらに、まるで映画『鞍馬天狗』のようにすっきりと、気持ち良く割り切れるものが多いのは、まさに官軍教育の賜物(たまもの)なのだ。

 永らく五百円札の肖像は、討幕派の象徴でもあった下級公家の岩倉具視(いわくらともみ)であったが、このことは昭和になっても「官軍思想」が根強く生きていたことを示している。

 勿論、平成日本人も官軍思想の中に何の疑問も抱かず身を委ね、自分たちのたかだか百数十年という短い近代史の成り立ちすらほとんど知ろうとせずに気楽に生きているといえるだろう。

 江戸という時代は、特に後期になると、諸学が盛んになっており、学問的には多様な時代であったが、幕末近くなるに従って国学諸派が力を得てきた。
中には竹内式部の思想に連なる“極右国学”とでも呼ぶべき水戸学のような亜流も存在したが、学問としての穏やかな国学の思想の中に、徳川幕府による全国統治は、朝廷即ち天皇が徳川将軍家に委任したものであるという考え方があり、これを大政委任論と呼ぶ。

 しかし、この思想は、何も国学者によらずとも自然なかたちとして大和民族の精神には、十分消化され、染み込んでいたものである。
 極めて具体的な証例として、天皇の住まい=御所の佇(たたず)まいを考えてみればいい。

 一つの永い歴史をもつ民族の最高権力者の住まいである。それにしては、その塀の低さはどうしたことかと気づいた人も多いことであろう。

 余りにも無防備である。こういう例は、恐らく我が国以外にはあるまい。
 都の庶民にとって、天子様とは文字通りお天道様のような崇高な存在ではあるが、決して権力者ではなかった。

 自分たちが神仏の加護を得て平穏に生きていられるのも、神々との架け橋であられる天子様がそこにおられてこその話なのだ。

 この国の民にとってもともと天皇とは、そういう存在である。これを侵(おか)す者がどこにいようか。

 徳川将軍家もあくまで天子様から政(まつりごと)を執り行う権限をお預かりしてそれを行っているものであり、どこまでも天子様を守護する存在である。

 従って、高い塀も、城壁のような防御施設も御所には要らないのである。

原田伊織(Iori Harada)
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など