辻広雅文 プリズム+one
【第102回】 2010年5月12日 辻広雅文 [ダイヤモンド社論説委員]

日本社会はなぜ「解雇規制緩和論」を受け入れようとしないのか~大竹文雄・大阪大学教授に聞く(下)

規制が強く閉鎖的な経済は、市場の内側にいる既得権者と市場の外にいる弱者を隔て、格差を広げる。正社員と非正規社員の二極化が進む日本の労働市場がその典型だ。改革には正社員の解雇規制の緩和が有効である。だが、日本社会はいっこうに受け入れようとしない。一体、なぜだろうか。『競争と公平感―市場経済の本当のメリット』(中公新書)で、解雇規制緩和論を展開する大竹文雄・大阪大学教授に聞いた。

―前回に続いて、「日本人はなぜ、市場主義経済が嫌いなのか」という質問を続けます。市場主義を批判する人々の多くは、「官から民へ」というスローガンを掲げて規制改革を促進し、市場競争を促した小泉政権を敵視しています。日本人を市場主義嫌いにするどのような失策を、小泉政権は犯したのでしょうか。

大竹文雄 (おおたけふみお)
1961年、京都府生まれ。83年、京都大学経済学部卒業。85年、大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。大阪大学経済学部助手などを経て、現在は大阪大学社会研究所教授。労働経済学専攻。2005年に『日本の不平等―格差社会の幻想と未来』(日本経済新聞社)で、サントリー学芸賞、日経・経済図書文化賞、エコノミスト賞を受賞。他にも著書多数。

 一つ思い当たるのは、「市場主義」と既存の大企業を保護する「大企業主義」とが同一視されてしまったのではないか、という点です。

 小泉政権では、経済財政諮問会議が経済政策の企画立案の中枢機関となりました。その司令塔たる諮問会議の4人の民間委員は、市場主義を代表する経済学者2人と大企業の利益代表である財界人2人で構成されていました。その結果、小泉政権の経済政策は、市場主義的な政策と財界の利益誘導、利権獲得の両方が混じってしまったのではないでしょうか。

 市場主義的な政策は、財界の利益と一致するものもありますが、明らかに対立するものもあります。例えば、携帯電話やテレビ放送の周波数割り当てに際しては、経済学者は競争入札で行なうべきだと考えるでしょう。しかし、すでに周波数を割り当てられている大企業にとってみれば、競争入札は既得権を失いかねず、望ましくない方法になります。その結果、政策的な妥協が起こってしまったのではないでしょうか。

 また、「官から民へ」という政策についても、公正さが疑われる場面がありました。郵政民営化に関連する施設の競争入札で、規制改革を主導した財界人が経営する大企業が安い価格で落札し、それを知らされた国民の多くが不審に思ったのは事実です。

―つまり、小泉政権が押し進めた市場主義では、旧来の利権構造が温存された、と国民が受け取ったということですか。

 というよりも、市場主義の名の下で利権の仕組みの変更が行なわれただけだった、という側面が強かったということです。「官から民へ」というスローガンのもとで、官から剥奪した利権が市場ではなく、一部の財界に移されたという一面があったわけです。それを見て、市場主義とは大企業保護主義ではないか、と国民は反感を強め、反市場主義につながったのではないでしょうか。

 もちろん、これは誤解です。誰にでも参入できるという公平性が担保されていることが、市場主義の一番大切な点ですから、市場主義は大企業保護主義とは無関係どころか相反するものです。

―小泉政権の構造改革に対しては、国民を厳しい市場競争にさらすことによって、人々の信頼関係を崩し、日本社会をぎすぎすとした暮しにくいものに変えてしまった、という批判もあります。

 市場競争に慣れていない私たちは、激しい競争にさらされると他人を信じないようになる、と思いがちです。ところが、海外では、規制緩和が進んだ地域や競争が激しい産業で働いている人ほど他人を信頼する傾向が高い、という研究結果があります。

 市場経済には公正競争のルールが不可欠です。そのルールが確立し、誰もがそれに従うと安心できる、つまり競争相手を信頼しているからこそ、激しい競争ができるわけです。逆に言えば、激しい競争は、ルールを破って他人の信用を失くした者は淘汰されるような「質の高い市場」でなければ成り立たない、ということです。そうした市場経済の本質が、日本では理解されていないということでしょう。

―開かれた市場経済では、市場参入の機会があらゆる人に公平に与えられていて、しかも、敗れて退場したとしても何度でも再挑戦が可能です。逆に、規制が強く閉鎖的な市場経済は、偶然に市場参入の機会に恵まれた少数の人はいつまでも保護され快適ですが、多くの人にとっては参入機会が与えられず、両者の格差はどんどん広がります。日本の労働市場は後者の典型で、正社員と非正規社員の二極化が進んでいます。

 1990年代以降に非正規採用が増加し続けたのは、大企業の経営側と労働組合側、つまり経団連と連合の利害が一致したためです。

 戦後の日本では、さまざまな理由から正規社員の解雇が厳しく規制されてきました。雇用調整のための解雇に関する規制(整理解雇規制)が強いから、正規社員を社内に抱え込まねばならない。それでも、経済成長によるインフレが続いた1980年代までは、実質賃金を下げるのが簡単でしたから、人件費負担はコントロールができた。ところが、90年代以降は物価がほとんど上がらない時代になったので、賃金カットが非常に難しくなりました。

 一方で、強い整理解雇規制は残っていて、人員削減は容易ではない。不況に対処するために、大企業は正社員の採用を縮小、停止する一方で、労働市場の規制緩和――非正規社員の雇用拡大を政府に働きかけました。

 つまり、非正規雇用を雇用の調整弁と位置づけ、その増加をデフレ下の労務費削減ツールとすることで、正社員の既得権――整理解雇規制と賃金――を守っていくという戦略に、経団連と連合の利害が一致したのです。

―OECDの調査では、日本は正規社員と非正規社員の処遇格差が大きいことが経済成長を妨げている、と指摘されています。

 正規雇用と非正規雇用の二極化は、社会の不満、閉塞感を増大させるだけでなく、将来に大きな禍根を残します。正社員採用の扉を閉ざされ、やむなく非正規社員になり、次の不況期で「非正規切り」されてしまれば、彼らが高齢化したとき年金不払いなどによって、膨大な貧困層になる危険があります。また、彼らの子どもたちもまた貧困となり、世代間の不公平が固定されてしまいます。それこそが問題です。

 雇用の二極化という不合理な格差を解消することが重要です。そのためには、現在政府が行なおうとしている非正規雇用の規制ではなく、正社員の既得権を剥ぐことが必要です。つまり、整理解雇規制の緩和です。

―整理解雇規制の緩和がどのように雇用の二極化の解消に役立つのですか。

 例えば、「非正規切り」を行なうことが、正社員の雇用調整や賃金カットにつながるような仕組みを作れば、両者の雇用保障の差を小さくすることができます。「正社員の労務費削減を非正規社員削減の必要条件とする」、あるいは「非正規社員を削減するのであれば、正社員も一定程度削減しなければならない」というルールを、法的に定めるのです。正社員が非正規社員の雇用や待遇を考えざるを得ないメカニズムを導入しなければ、二極化は解消しません。今は、不況という経済ショックを非正規社員だけが集中的に負担しているのです。

―ここ数年の間に、整理解雇規制の緩和論を唱える人がアカデミズムを中心に増えました。極めて本質的な議論だと思うのですが、政府も産業界もまともに取り合おうとしません。大手マスメディアも、真正面からは取り上げません。一体どうしてでしょう。

 先ほど申し上げたように、経団連も連合も利害関係が一致しているから、手をつけて欲しくない。実は、中小零細企業も反対です。なぜなら、整理解雇規制を厳しく守らされているのは大企業で、中小零細企業では、大企業ほど厳格に守られていないと思います。そうすると、もし整理解雇規制の緩和が行われたとしても、その効果は大企業に対してのみ有効になると思います。

 逆に、整理解雇に関するルールがはっきりすると、中小零細企業にとってみると整理解雇が今よりも困難になってしまうかも知れません。中小零細企業にとってはもちろん、大企業にとっても、下請け企業や非正社員で比較的自由に雇用調整ができているのに、ルールが明確に作られると逆にやりにくくなるかも知れません。それが目に見えているから、中小零細企業も反対です。産業界が上から下まで本音では反対なのですから、政府が動くはずがありません。また、整理解雇規制を緩和すると同時にセーフティネットも充実する必要がありますが、それは財政的な負担を伴ないます。

 一方、国民はこうした政府や産業界の本性を見抜いていて、整理解雇の規制緩和論など空論だと冷めているのかもしれません。

―突破口は、どこにあるでしょうか。

 私は、あるとき一気に崩れるのではないか、と思っています。

 今は、大企業の男の正社員という旧来の既得権を持つ人々が社会の主流派です。ですが、働いている人々の構成はどんどん変化しています。

 例えば、この10年間で男性の非正規社員が一気に増えました。その理由の一つは、技術革新とりわけIT化です。それらは、長時間労働や体力を要求する仕事から、対人能力、文章表現能力、技術力、データ解析能力、創造的能力などを要求する仕事に、仕事の中身を変えました。これらの仕事には、女性の方が得意とするものがたくさんあります。

 そうして、男性優位が崩れ、女性の活躍の場が広がります。つまり、労働市場を出たり入ったりする労働者が主流になる時代がきます。そのとき、彼女らが不利になるような労働条件の会社はだめになってしまいます。経営者も正社員も、能力ある非正規社員の労働条件を考慮せざる得なくなるでしょう。

―しかし、他方、ITを中心とする技術革新は、頭脳労働=高所得と単純労働=低所得という新たな二極化を生みます。例えば、コンビニの店員は、商品を店頭に陳列し、顧客が購入した商品をスキャンすることだけが仕事です。その商品データは本部に送られ、頭脳部隊によって分析され、戦略に生かされます。かつては、両者の間にさまざまな仕事がありました。商品の売れ具合をチェックし、受発注を行なうといった業務です。それらを、ITが代替しました。中間的仕事をITが中抜きした結果、労働者が二極化し、最初から単純労働に就いたものは、日々努力すれば習熟し、スキルが身に付き、給料も上がる、といった仕事が与えられる機会がなく、貧困に堕ちるという危険が高じています。

 それは、認めざるを得ません。グローバリゼーションにも同じような問題があります。だからと言って、IT化もグローバリゼーションも避けることはできませんし、それらによって日本の社会全体が豊かになっていることは間違いありません。

 とすれば、社会全体で彼らを助けなければなりませんし、IT化やグローバリゼーションのおかげで、私たちが彼らを助けてもお釣りがでるくらいの豊かさを手にしているのです。若者がコンビニの店員として生涯滞留してしまわないように、教育制度や職業訓練制度を工夫する必要があります。一方で、貧困対策として社会保障制度の充実が必要です。

 IT化やグローバリゼーションの進展の光と影という観点からも、日本は「自由な市場経済+政府によるセーフティネット」という先進国の経済政策の常識を理解しなければならないのです。