大学院教授でバラエティや情報番組でも活躍している岸博幸氏は、昨年1月、血液のがんである多発性骨髄腫と診断された。余命10年と宣告されたとき、残された時間で岸氏が最優先にしようと決めたことは、なんだったのだろうか。本稿は、岸博幸『余命10年 多発性骨髄腫になってやめたこと・始めたこと。』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
「余命10年」を
告げられたときの思い
2023年1月20日、多発性骨髄腫に罹患していることが判明した。その時主治医から告げられたのは、「適切な治療を受ければあと10年か15年は大丈夫です」という言葉だった。
自分の人生の残り時間を知らされるのは、嬉しくないものだ。物事にあまり動じない性格の上に、もともと長生きすることに執着がなかった僕でさえ、一瞬言葉を失った。
日本人男性の平均寿命は81歳なので、還暦を迎えた時は漠然と、「人生あと20年くらいかな」と思っていた。それがこの日、自分が予想していた時間の半分しか残されていないという事実を突きつけられたのだから、70歳まで生きられれば御の字かと思いつつも、ショックを受けるのも当然かもしれない。
今振り返れば、言われた瞬間、自分では「体調が悪かったのはこれが原因か」という点では納得したものの、やはり動揺していたのだろう。また正直に言えば、「あと10年で死ぬということか」と確認するのが恐かったのもあり、ふだんは、人の発言を詰めまくる僕が、主治医の言葉に対して意見も疑問も投げかけず、ただ「そうですか」と頷いていた。
「つまり、余命10年から15年ということなんだな」と、“勝手に”理解し、納得してしまっていたのだ。
医療技術は日々進歩しているのだから、いずれ今より効果的な治療法が開発され、もっと長生きできるのではないか。それとも、多発性骨髄腫は、そうした希望的観測を抱けない病気なのか。
主治医に聞くべきことは、いろいろあったはずだ。でも、今更悪あがきしてもしょうがない。短めに見積もって、僕は余命10年なのだと納得しよう。その気持ちは、半ばあきらめに近かったかもしれない。けれど、この日、診療が終わる頃には、そんなことを思っていた。
その考えが変わってきたのは、3月と8月の入院中だった。入院中は、当然ながら時間がある。ふだん忙しくてなかなか持てなかった“頭の体操”(いろんなことを考え、思いを巡らせる時間を、僕はこう呼んでいる)を繰り返すなかで、自分に残された時間をどう生きるか、今後の人生について、かなり大真面目に考えることができた。