1600万部を突破した『宇宙兄弟』、600万部を突破した『ドラゴン桜』などの人気マンガを担当する編集者・佐渡島庸平氏。1580万部を突破した『とある魔術の禁書目録』や、1130万部を突破した『ソードアート・オンライン』などのライトノベル編集者・三木一馬氏。トップ編集者2人の対談をお送りする。今回はその第3回。

面白い作品だからこそ手を入れたくなる

佐渡島 三木さんが本に「創作物に面白くない作品は一つもない」「少なくとも作家が担当編集に送ってきているという時点で、作家は面白いと思っている」という考え方には、全面的に賛成です。

 作家さんに(作品を)直す話をするときって、こっちもその作品をもっと面白くしたいからこそ、なんですよね。

三木 面白いから直したくなるんですよね。仮にまったく面白くなかったら、何にも言えないというか、All or Nothingで終わるからもっと時間はかからないというか。

佐渡島 そうそうそう。

三木 でも、こういった編集者特有のマインドは作家さんにはあまり伝わらず、むしろ誤解されてしまうから大変ですよね。

佐渡島 直しを言うと、「この作品を面白くないと思ってるんだ」って、作家さん自体も否定されてると思っちゃうんだけど、そうじゃない。一人でもこの作品に熱狂している人、面白いと思ってる人がいるんだってことをすごく重視しながら、直しの話し合いをしますよね。

三木 ちなみにそれって、いつ頃気づきましたか? 僕は不覚にも、ある程度の編集者経験を経てからようやく……だったのですが、佐渡島さんは最初から、例えば先輩の編集者が教えてくれたりしたとか? 

佐渡島 週刊モーニングの初代編集長の栗原さんという方がいて、まわりの人みんなが一同に「栗原さんはすごい人だ」って言うんですね。それで、小山宙哉の『ハルジャン』がうまくいかなかったときに、栗原さんの連絡先を調べて「この作品のどこが悪いか教えてもらえないですか?」って相談に行ったんです。そしたら、じゃあ、お返しに昼ご飯をおごって」って言われて(笑)。それで、快くアドバイスをもらったのが、6年目ぐらいの頃です。

三木 おごる金額がお昼でよかったなら、それは良い先輩ですよね(笑)。

佐渡島 はい、すごく魅力的な方です。栗原さんが、ある時ポロッと言ったんですよ。「すべての創作物は尊敬に値する。新人のどんな原稿でも。すべての原稿に、編集者は尊敬の気持ちが重要だ」って。そのとき「ああ、僕は作品に対する敬意が今まで足りなかったな」と思ったんです。だって、仮に面白くないと思った作品があったとして、それは僕という一人の人間にとって面白くなかった、というだけなんですから。

三木 うん、その通りだと思います。じゃあそのことに気付いたのは、『ハルジャン』をやられているとき?

佐渡島 いや、『ハルジャン』をやっているときは入社して4、5年目だけど、しっかり全部の作品に敬意をもって接することができるようになったのは、7、8年目くらいかなぁ。三木さんはどうしてそういう考え方に?

三木 僕のきっかけは、ある担当作家さんの一人が、「僕は褒めて褒めて褒めまくってくれるほうが、やる気が出るので是非お願いします」と言ってきてくれたときですね。

 すごく才能があると感じた作家さんだったので、さっきもお伝えしたように、良いものだとむしろたくさん直しを入れたくなるんですよ。ですが、その人は「チェックと文句が多すぎて落ち込む」と言ってくるんです。僕は「いや、これめちゃくちゃ面白いと思ってるから、いろいろ指摘したくなってるんですよ」と伝えたんです。

 すると作家さんは、「だとしても、その100倍褒めほしい。そうしたら書けるから」というやりとりを何度もすることになって。打ち合わせのときは、かならず最初に「あなたの作品はすべていいと思ってる!! その前提で、さらに良くするために直しをするからね」と前振りするようなりました。それでも落ち込まれますけど(笑)。

佐渡島 そういうこと、よくあります! 可能性を感じていればいるほど、もっと良くしようと思うのに、全く逆のことを思われてしまう。

打ち合わせでは「ダメ出し」ではなく「ポジ出し」をせよ

三木 で、そのマインドは何から来てるのかな、と分析し始めまして、まずは自分に置き換えて考えてみたんです。すると、「たしかに」と思う部分があった。

 たとえば、僕は担当する電撃文庫のあらすじは、自分で3~4パターン書いてみて、作家さんにチェックしてもらうんです。そこでOKが出たらホームページや折り込みチラシに載せる……という段取りを踏んでいるのですが、あらすじを作家に3、4パターン送って返ってきたメールが、直しと指摘と修正のみの簡素なリアクションだったとき、「全パターン、つまらなかったのかな……?」と不安になったり、凹んだりするんですよね。

 冒頭に少し「全部よかったです。でも――」と前置きを書くだけでも、印象は違うわけで。編集者の自分でもそう思うんですから、自分の作品にいろいろ言われてしまう作家さんはもっと気にしてしまうだろうなと理解したわけです。

佐渡島 なるほど。それで本(『面白ければなんでもあり』)に書かれていた、「打ち合わせではダメ出しをせずにポジ出しばかりする」という方法論を確立なさったわけですね。

三木 それから今はいろいろな小説の投稿サイトがあるからこそ、世に出た瞬間に、「面白い」と思う人がどこかに必ずいる、というのがすぐにわかるようになっているんですね。ですから、そういう考え方を前提に、最もその(面白いと思う人の)数を増やすことを編集者は目指さないといけないと思っています。そうしないと、おそらく「(面白いか否かの)判断基準なんて、もう読者でいいじゃん。編集者とかいらないじゃん」と思われてしまい、今後淘汰されていくだろうなと考えています。

 ですから、今後はその「面白い」と感じてくれる読者の数をいかに多く、いかに広げられるかを考えることを意識していかないと、編集者はやっていけないんじゃないでしょうか。

佐渡島 いやー、むちゃくちゃ賛成ですね。この前、数年ぶりに会った新人の人に「ダメ出しがすごいから、なぜ僕に新人賞をくれたのかわからない」と言われて。これは完全に逆で、数年でもっとも期待している新人だったから、たくさん意見を言っただけだったんです。自分のコミュニケーション能力を疑いましたね。(笑)

三木 ははは、それひどい誤解ですよ!

佐渡島 僕が新人の漫画家さんと打ち合わせしたときによく言ってるのは、「才能を否定しているんじゃない」ということなんです。

 たとえば運動神経がいい人がいたときに、その人が卓球やバレーボールをやったりすると、職業として食っていきづらいという現実がある。でも、野球とかサッカーだったら食っていきやすい。だから、この人は作家としてこの先、十年、二十年食っていく能力があるというときに「卓球が好きなのもわかるけれども、まずは野球とかサッカーで有名になって、それから卓球へ行けばいい。それならやっていける」と。卓球やバレーもスポーツとしては面白いのだけど、ビジネスの体制が整っていない。ビジネスの体制が整っている所で勝負をするのは、大事なことです。

 先にみんな、プロとして食べていける道の基礎を身につけようよっていう直しのアドバイスをするんだけど、それを才能の否定と思っちゃうというのはけっこうあって。本当に、三木さんの本を読んだら、ジャンルは違えど、考えていることは一緒なんだなって思いました。