市内の大半が大津波による浸水被害を受けた宮城県石巻市。震災から1ヵ月過ぎたいまもなお、沿岸部を中心に瓦礫の街がどこまでも広がり、パサパサに乾ききったヘドロが、白い粉塵になって舞っている。

 少し足を延ばして、市街地から旧北上川を渡った山の向こうの渡波地区も、震災後はひどい津波に襲われて、瓦礫と浸水で孤立していた。その先の震源域に近い牡鹿半島の小さな集落や漁村は、ほぼ壊滅状態。さらに、その奥地の女川町や北上川沿いの雄勝地区の両岸は、土台から根こそぎ消失した家も多く、道路が寸断され、ボランティアなどのマンパワーが足りずに、ほぼ手つかずの状況だ。

 そんな広域にまたがる石巻地区に、唯一といわれている引きこもり支援団体があり、震災後、孤立した高齢者などの弱者の支援に駆けずり回っている。「引きこもり」や「発達障害」、「うつ病」などを抱える社会的弱者の雇用支援を行うNPO法人「フェアトレード東北」だ。

 同団体はこれまで、市内の内陸部にある蛇田や、渡波地区の寮で、共同生活を行ってきた。

 当連載で以前、津波に遭いながらも、家から逃げることなく漂流の末に生還した引きこもり当事者の話を紹介した。今回の大津波に際し、「災害弱者」といわれる彼らは、どんな状況になっているのか。

 市内の内陸部にある同団体を訪ね、代表理事の布施龍一さん(35歳)に話を聞いた。

地域で存在を隠し、孤立していた当事者や家族
彼らの震災後の状況を掘り起こすことは難しい

 実は、施設の利用者は、県外の人がほとんど。石巻の人が地元の施設を利用するのは、地域的に抵抗感が強いようだ。そのため、市内の引きこもり当事者の人たちについての状況は、把握できないらしい。ただ、元々ストレス耐性が弱いだけに、震災後は夜になると徘徊したり、真っ裸になったりと、不調をきたす人たちが多かったという。

 そういえば、家々の土台しか残っていない、ある廃墟となった住宅地を訪ねた際、住民からこんな話を聞いた。

 地震後、住民が外に出て津波の様子を見ていると、隣の家に住む青年も出てきた。住民は、青年の両親のことはよく知っていたが、その息子に会うのは初めてだった。「いまから思えば、引きこもりだったのではないか」と振り返る。

 住民は「津波が来るよ。両親に教えてあげたほうがいい」と教えてあげると、青年は何もいわずに再び家に戻っていった。