【第29回】 2010年03月11日
「長崎の魚石」
「長崎の魚石」は、次のような昔話である(*1)。
昔、長崎の伊勢屋に、唐の国から来た商人がやってきて、土蔵の石垣に積んである小さな石を譲ってほしいと頼んだ。伊勢屋は、小さな石とはいえ、取り外せば石垣全体が崩れるかもしれないからと断ると、ならば石垣を積み直す費用として100両置いていこうと唐の商人は言う。
それで伊勢屋も、石がたいそう価値のあるものだと悟り、なんだかんだと言って売り渋った。唐商人は顔色も変えずに、では150両出すと言う。そうして値段はしだいに吊り上がったのだが、300両出すと言うのを伊勢屋が断ったら、唐商人はあきらめてさっさと国に帰ってしまった。
儲け話をしくじった伊勢屋は、唐の人があれほど欲しがるなら、これは良い璧なのかもしれぬと考えて、石垣を崩して石を取り出し、職人に磨かせてみたが、いくらやっても輝きはせず、ただの石と変わりはなかった。このようなつまらないものに唐商人が大金を払うというのがあまりに解せないので、鏨(たがね)をあてて石を割らせてみると、中から水とともに小さな魚が飛び出してきた。驚いて見ているうちに、魚はすぐに死んでしまった。
1年後、唐商人が戻ってきて、今度は1000両出すと言う。伊勢屋が事情を話すと、唐商人は涙を流した。あれは魚石というもので、一流の職人が注意深く磨きあげれば、水の中に優雅に泳ぐ2匹の小魚が、石の中から透き通って見えるという、天下の宝になるものだった。今度はいくら値が上がっても大丈夫なように、3000両の金を用意してきた。こんなことなら、初めから事情を説明しておけばよかったのにと悔しがった。
*1:柳田国男『日本の昔話』所収の「長崎の魚石」を参考にした。
唐商人の後悔
原典は、外国の商人は知っていることでも絶対に顔に出さずに駆け引きをし、日本の商人は物を知らずに欲ばかり深いものだから、昔は折々このようなとんでもない大損をしたものだと結んでいる。魚石という天下の奇石が失われたことは、伊勢屋にとっても唐商人にとっても、疑いなく大きな損失である。それでは伊勢屋と唐商人に、どのような落ち度があったのだろうか。
議論の出発点として、唐商人が悔いたように、もし初めから唐商人が伊勢屋に事情を話していたらどうなっていたのかを考えてみよう。すなわち、その石は魚石という奇石であり、これをうまく磨いて売れば大儲けができるから、儲けを山分けしようと持ちかけるのである。
しかし、この相談は必ずしもうまくまとまるものではない。唐商人が2度目の交渉のときに3000両を用意してきたことから推測して、仮に魚石を売れば3000両の儲けがあることを、唐商人は確信していたとしてみよう。これを伊勢屋も同様に確信するならば、3000両を折半して1500両ずつ分けるという合意ができたかもしれない。
ところが、これは伊勢屋が石を割る前のことである。したがって、伊勢屋は魚石のことは何も知らず、唐商人とて石を割るわけにはいかないので、石が魚石であることを具体的に伊勢屋に示すことはできない。つまりこの時点では、それが3000両の価値のある財宝だということはおろか、それを感じさせる気配さえも伊勢屋は知り得ないのである。
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著者プロフィール
- 梶井厚志
(京都大学経済研究所教授)
1963年広島県生まれ。86年一橋大学経済学部卒業、91年ハーバード大学Ph.D.(経済学博士号)取得。専攻は経済理論、特に情報の経済学、一般均衡理論、ゲーム理論。ペンシルバニア大学経済学部助教授、筑波大学社会工学系助教授、大阪大学社会経済研究所教授を経て、2003年より現職。 著書に『ミクロ経済学:戦略的アプローチ』『戦略的思考の技術』『故事成語でわかる経済学のキーワード』などがある。梶井厚志のホームページ
この連載について
身近な言葉の中にも戦略的思考の可能性が潜んでいる。本連載では、身近な言葉や格言・昔話から、そこに潜む経済学的なアイディアや戦略的な含意を探る。
なぜ私たちは「どうも」「お疲れさま」「よろしくお願いします」を、これほど使ってしまうのか?身近にあふれる妙に気になる日本語たち。そこには、必ず何らかの戦略が込められている!気鋭の経済学者がゲーム理論を駆使して読み解く、目からウロコのエコノミック・エッセイ。
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