ようやく「密約」の存在が認められた。3月9日、日米密約問題に関する報告書の発表会見で、岡田克也外務大臣は政府として初めてその存在を認めた。

 これまで日本政府と歴代の外務大臣は「密約」の存在そのものを否定し続けてきた。だが会見当日、岡田大臣は存在を認めた上で、こう語り過去の政権を批判した。

 「これほど長期間にわたって、冷戦後も国会や国民に、密約の存在が明らかにされなかったことは極めて遺憾だといわざるを得ない」

 岡田外務大臣の言葉は、行動を伴った至極まっとうなものだ。政権交代があったとはいえ、就任直後、真相追及のために外務省内に調査チームを立ち上げ、さらに有識者委員会を設置した岡田大臣の実行力に敬意を払いたい。その結果が、「密約」の真相の一部を炙り出すことにつながったのだ。40年間、自民党政権の誰ひとりできなかったことに着手し、結論させたことは是々非々で評価すべきだろう。

問題は「密約」の存在ではなく
隠蔽を続けた政府の姿勢

 それにしても「密約」を不存在とし続けた過去の自民党政権はいったいどう言い訳をするのだろうか。海部首相までの歴代首相には密約の存在について外務省から報告がなされていたのだ。とりわけ、佐藤栄作首相は密約の一部となる文書を自宅に持ち帰ってさえいる。時代は違うものの、国家・国民共有の財産を持ち帰り、その後子孫が長年隠し持っていたという行為は決して褒められるべきものではない。

 誤解なきように最初に表明すれば、筆者は、国家として外交上の機密を存在させることを否定する立場には立たない。よって「密約」の存在自体も即「悪」だという認識も持っていない。

 問題視しているのは、一方の当事者である米国が「密約」の存在を認めたにもかかわらず、その事実を隠蔽し続けた近年の日本政府の不誠実な対応にある。

 きょう(3月10日)発売の「文藝春秋」で作家の塩野七生氏は次のように書いている。

〈私には、この当事者たちの生き残りを呼び出して詰問することからして、礼儀を欠く行為に思える。法的には正しくてもそれだけで突き進むのは、人間世界を知らないか、感受性に欠けているか、のどちらかだろう。いや、この両方かもしれない。ゆえに無駄で終わるだけでなく醜悪でさえある。
八〇年代に入って以後もずっとウソをつきつづけたのは別の問題になる。

 この時代の日本の指導者たちは、他策なかりしと信じたからウソをついたのではない。国民どころか自分が先に天国に行きたいという卑しい自己保全か、単なる無知か怠惰で、知らんぷりをきめこんできたにすぎないのである〉(文藝春秋4月号「日本人へ」)。

 まったく同感である。