700万部が売れたという事件後の『シャルリー・エブド』特売号の表紙を日本のメディアはほとんど掲載しませんでしたが、これを「ムスリムに対するヘイトなのだから当然だ」と擁護する“リベラル”なひとたちがいます。しかしそうなると、この“ヘイト本”を買った700万人や、「私はシャルリー」の言葉を掲げて街頭に立った350万人のフランス人はイスラームを差別する「極右」ということになってしまいます。
これはどう考えても荒唐無稽な話ですが、そう思ったひとが自分で判断しようとしても、肝心の風刺画を見ることができません。「私はヘイト表現だと感じた。だから掲載するな」というのは、個人的な判断を一方的に読者に押しつける知識人の横暴以外のなにものでもありません。
もちろんここで、「風刺画を見たければネットにいくらでもある」との反論もあるでしょう。しかしそれを認めるのはメディアの自己否定で、「真実はす べてネットにあり、新聞やテレビはウソばかりだ」ということになってしまいます。そしてこれは、ネットを使ってISIS(イスラム国)が信じ込ませようと していることなのです。
書籍は、自らの意思で手に取ったひとしか内容がわかりません。表紙に風刺画を使っておらず、ムハンモドの顔をモザイクで隠した本ですら販売させない というのは、明らかに行きすぎです。日本の市民社会を律しているのは日本国憲法であり、シャリーア(イスラーム法)ではありません。誰の気持ちも傷つけない「表現の自由」しか認めないのなら、(言論・出版の自由を定めた)憲法21条など不要ですから、さっさと削除してしまえばいいでしょう。
もちろん日本に住むムスリムには、風刺画を掲載した新聞社や出版社に抗議する自由があります。しかしそれと同時に、自由な市民社会のルールを尊重しなければなりません――こんな当たり前のことをいちいちいわなければならないのは、ほんとうに残念です。
『週刊プレイボーイ』2015年3月2日発売号に掲載
【後記】
『新文化』2015年2月10日号に『イスラム・ヘイトか、風刺か』を出版した第三書館の北 川明社長のインタビューが掲載されていたので、その一部を引用します。なお北川氏は、本書の企画意図について、「(シャルリー・エブドは)風刺漫画なのだ から、漫画を出さずに議論することはありえない」と述べています。
――イスラム教関係者が本を置かないように要請した書店もあったと聞くが。
北川 いつも常備を入れている書店にはイスラム教徒が押しかけ、注文がキャンセルになってし まった。本の内容を見てからならまだわかるが、この度の一連の書店の反応には愕然とした。中国・韓国を貶める『ヘイト本』はかなり悪質だが、書店は売れる から売る。それはいいが、本書を読んでもいないイスラム教徒が来ただけで、この本を売らないという。
では、韓国人、中国人が(ヘイト本を)置かないでほしいと言ったらどうするのか。在日の人が『売らないで』といっても書店は売るだろう。それは書店人の“差別”だと思う。
――本に対する反応は。
北川 本を読まずして非難している。抗議しているイスラム教徒にも「読んでみてほしい」と いったが、「いらない、読みたくない」との答えだった。彼らはこの本が『シャルリー・エブド』を礼賛していると勘違いしている。イスラム教徒としては預言者ムハンマドが否定されている本は一切知りたくないという心情はわかるが、取り上げること自体がけしからんという立場だ。
<橘 玲(たちばな あきら)>
作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(以上ダイヤモンド社)など。最新刊 『橘玲の中国私論』が発売中。
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