非常に“男くさい世界”を扱っていますので、誰かが上手にナビゲートしてあげる必要があると思います。これから若い人に観てもらうためには、一種の伝統芸能というか、“歌舞伎のようなもの”として受け止めてもらうのがよいかもしれません(笑)。

 63年の「人生劇場 飛車角」以降の任侠映画は、独特の形式美を持った伝統芸能で、確実に“時代の空気”を切り取っています。例えば、60年代に公開された作品のいくつかは「昭和初期に政治家や右翼などがやくざを使って、どのようにして玉の井遊郭の娼婦たちを従軍慰安婦として中国大陸に送り込んだのか」という問題を扱っています。映画というフィクションながら、関係者への取材を基にして物語が組み立てられているため、当時の感覚というものがよく分かります。他にも、浅草の松屋デパートが造られる時に、どのようにして長屋が壊されたのか。国際博覧会を開催する時に、どうやって庶民から土地を買い上げていったのか。任侠映画は、このように近代日本史の闇を学ぶには好個のテキストです。若い人にとっても、勉強になるでしょう。

 73年の「仁義なき戦い」以降の実録映画は、モデルになった本物のやくざが撮影所内を歩き回る状況下で製作されています。当人や関係者からは、「格好よく演じてください」と頼まれます。当然、役者たちは「分かりました」となるでしょう。そして、やくざと同じ釜のご飯を食べ、同じお酒を飲み、時にはトルコ風呂(ソープランド)にも一緒に行くなどの付き合いを通して彼らの立ち居振る舞いを吸収しながら演技に反映させていました。松方弘樹は、その筋から「一番、やくざっぽい」と言われていました。今日の感覚では問題視されますが、実録映画の時代にはそれが当たり前だったのです。

――近年では、70年代の実録映画のような政財界の闇を描くリアリティを持った作品が製作できなくなってきています。伊藤さんは、この辺の事情をどう考えていますか。

 確かに、そうですね。本格的な実録映画の企画は、今は通りにくくなっています。

 90年に戦後最大の不正経理事件とされる「イトマン事件」が起きてからは、非常に締め付けが厳しくなりました。例えば、小林旭が主演した「民暴の帝王」(93年)という作品は、“経済ヤクザ”と呼ばれた石井隆匡(稲川会二代目会長)がモデルで、主眼は日本の四大銀行とやくざ社会との繋がり、そして政財界をめぐる闇を描くことにありました。しかし、東映には銀行から圧力がかかり、脚本の段階で半分ぐらい削られてしまいました。なぜなら、企業としての東映は、銀行からお金を借りているからです。

 私見ですが、今の世の中でやくざを描くことが許されているのは、北野武監督だけだと思います。例えば、「アウトレイジ」(2010年)、「アウトレイジ・ビヨンド」(12年)などに登場するやくざは、IQが低い。現実には、怒りに任せてすぐに人を殺してしまうような直情径行型のやくざはいないでしょう。総じて、マンガチックなのです。

――“遅れてきた最後の映画スター”だった松方弘樹は、最後の最後までやる気満々で、「いつの日か田中角栄を演じてみたい」と語っていたそうですね。

 ええ。映画やテレビでやるとなると、娘の田中眞紀子の許諾が得られそうにないという判断から、小さな劇場で独り芝居をやりたいという構想を練っていました。舞台の真ん中に演台を置いて、田中角栄の栄枯盛衰を独りで演じ通すという計画です。

 実は、松方弘樹の父親の近衛十四郎は、新潟県長岡の出身で、何度も田中角栄に会ったことがあるそうです。だから、息子である松方弘樹は、新潟弁が身体の中に入っていると(笑)。実際に彼は、田中角栄そっくりの声音で話すことができました。

 長時間インタビューで、この話題になった際に、松方弘樹は突然、しゃがれた田中角栄の口調になりました。「酢だコンニャクだと理屈をこねても始まらんっ! 池田(勇人)や佐藤(栄作)にしても、危ない橋を渡ってきた。きれいことだけじゃすまないんだっ。必要な金は、俺が血のしょんべんを流してでも自分の才覚で作るっ!」と言って、机をドンと叩いたのです。まるで、目の前で田中角栄が演説しているかのようでした。

 現在、日本は「超高齢社会」を迎えています。松方弘樹のように、70歳を過ぎても現役であり続けようとした華も色気もある役者には、後輩たちのためにも長生きしてほしかったです。田中角栄の独り芝居が実現しなかったことは本当に残念です。(敬称略)