そもそも辞意の表明も、所属する自民党京都府連には相談をせずに行ったというのだから、今後の支援も望むべくもない。結局のところ、宮崎氏が議員を辞職した最大の理由は、はなはだしいまでの「要領の悪さ」だったのである。

 しかし逆に、ここで過去の不倫政治家たち全員が「要領が良かった」といえば嘘になる。むしろ、宮崎氏のようなダメな言い訳に終始したり、あり得ない過ちを犯したりした者もいる。では、そんな不倫議員たちは、なぜ、今も選挙に当選し、のうのうと議員を続けていられるのだろうか。かつて話題となった不倫議員の面々を、時系列に沿い、生き残りの“秘訣”を順に追っていこう。

「政界失楽園」の船田元氏が
女性票を失っても復活できた理由

 まずは1996年、不倫行為が「政界失楽園」と称され、大きな注目を集めた自民党議員・船田元氏。祖父に衆議院議長や自民党副総裁を務めた船田中氏をもち、自身も25歳で初当選、39歳で経済企画庁長官として史上最年少で入閣を果たしたサラブレッドだ。

 エリート街道を歩み続け、「将来の首相候補」「政界のプリンス」とまで呼ばれていた船田氏だが、彼の過ちは1996年の夏に起きた。参議院議員・畑恵氏との不倫恋愛を大々的にスクープされたのだ。しかもメディアの取材でその関係を否定したために、いらぬ反感も買ってしまう。さらには1999年3月に妻と離婚し、5月に畑氏と再婚をした。そのため女性の支持率が大幅に下落し、翌年の選挙で初めて選に漏れてしまったのである。

 2003年に再選を果たすも、その後は入閣もできないばかりか、2009年に再度落選。2012年に再び国政の場に復帰してからは、自民党の憲法改正推進本部長に就任するなど、ようやく日の目を見るようになってきたのだ。

 船田氏も、宮崎氏ほどではないが、選挙を翌年に控えているにもかかわらず、長年連れ添った妻を捨て、浮気相手と再婚するなど、とても危うい行動をしている。それでも2度にわたる当落劇を経て、いまだに議員を続けていられるのは名門の世襲議員であり、祖父から引き継いだ地盤が強固だからである。これは宮崎氏が持っていない要素であるが、“腐ってもプリンス”といったところだろう。

「モナ男」こと細野豪志議員、
生き残り術は“寄らば大樹の陰”

 続いては、2000年に民主党公認で初当選して以来、着実にキャリアを重ねてきている細野豪志議員。民主党政権下の2011年には環境大臣に就任し、2014年には自身の派閥である自誓会を旗揚げ、2015年には民主党代表選挙に出馬するなど、波に乗っている政治家だ。