新しい学びは教員から
後藤 あと、教員にはもっと知的好奇心を持ってほしい。東京の盛り場にあるような学校では保護者が外国人の生徒も多い。保護者会で英語が通じるならまだいい方で、中国語だったら教員は対応できない。
でも、それこそが好奇心の問題です。あの子を何とかしよう、だから中国語を学ぼうというような先生のモチベーションがなければ、生徒にPBL(問題解決型学習)とか言っても意味がないでしょう。もちろん働き方改革に伴って学ぶ時間を確保できることが前提ですが。
安田 そこを強く学校の先生たちは意識して教えてほしいですね。いつ役に立つかは分からないものですから。
後藤 「誰々が一緒にやろう」とか「授業で与えられたテーマだから」とか、自分のモチベーションベースでない「探究」って何なのかという話です。これだと答えやすい、ネットにいっぱい記事があるという“課題あるある”からどれかを選ぶ、型にはまった「探究」をすることになりかねない。目標設定が低く、こなすためのタスクベースの「探究」になる。
一方で、「探究」の評価はしにくいものです。評価しにくいものを学んできている受験生を選抜する大学側はたいへんです。入試の過度な平等性は今後問題になる。結局、「自分が教えたい学生を選抜する」といった感じで、教員の主観性(相性)での判断を優先させたいところ。
安田 理系の学部では実習・実験がある。これをやらないと身に付きません。情報系なら、情報セキュリティーが面倒くさい点を除けば、オンラインでもある程度のことはできます。
後藤 DX(デジタル・トランスフォーメーション)に対応できる大学が地域によってはありませんから、オンラインでカバーしないと困難です。実験施設の出先として、サテライトキャンパスでもつくって、みんなで利用すればいい。
国立大学協会が国立大学の在り方についてナショナルセンターでありリージョナルセンターであるという考えを示しました。あの10年前の議論を改めて検討すべきですね。リージョナルセンターとしての役割をもっと求めたいところ。そして、これまで東大にばかりかけたおカネの在り方をいま一度問うべきだと思います。