次の100年に向けた経営改革
――校舎の建て替えが続いていますね。
漆 東京五輪大会の開催が決まってから建築コストが急騰し、見積額が当初の3倍に膨らんでしまいました。6社と話をしていましたが、ホテルなど大規模開発の発注を受けてそちらへ動く会社がほとんどで交渉が白紙になり、その後あらたにご縁があった清水建設とさまざまな工夫をして進めているところです。
学校の場合、こういう何十億円規模の工事には理事長の個人保証が求められます。もちろん、そんなお金は持っていませんから、保証できない書類にサインをするときは手が震えました。そもそも学校法人は土地がないと認可されないので、担保を出した上の二重の保証というわけです。こんなことでは私学の事業継承が危うくなると思って調べたところ、金融庁の方針とは矛盾することが分かりました。関係省庁や財団、外郭団体を回って話をし、最終的にこの制度を改革することができました。
――学校経営だけはやりたくないと思っていたとおっしゃっていましたね。
漆 父母が苦労する様子をずっと目にしてきましたから。一方、教員としての両親の背中を見て育ち、小学校に通う前から、将来は先生になりたいと思っていました。最初の赴任校に恵まれて、教員は天職と思える充実した毎日でした。
学校は人様のお子さんの人生を預かる仕事です。潰れれば卒業生の母校がなくなります。その経営のストレスもあったのか、祖父も父も母もがんで亡くなっています。昨年、私にも乳がんが見つかりました。はじめは黙っていましたが、女性特有の病気は話すことがタブー視され、病人が孤独になると実感し、自分の経験をシェアすることにしました。この時、加入していたアフラックのがん保険が保険金をすぐに給付してくれたのは本当に心強かったです。
がんの当事者になったときの精神的苦痛は、図り知れません。家族の生活を支える立場だったら経済的な不安は深刻でしょう。保険は、とりあえず生活の不安を解消し、治療計画を立てる心の余裕をもたらすものと知りました。
――それが前回お話になっていた保険の教育にもつながるわけですね。がんは不治の病ではないとはいえ、それにしても大変でした。
漆 そろそろこの学校をこれからどうしていったらいいのか、事業承継を考えています。中学と高校の校長には、それぞれ本校に30年以上勤める教員に就いてもらいました。細かなことは言わなくても、彼らには学校の理念が浸透していて、何より生徒や卒業生を大切に思う気持ちが共有できているので安心して任せられます。
――理事長として、創立100周年に臨むわけですね。
漆 シェアするという気持ちを大事にしていると、皆が良くしてくれる気がします。感謝して、報告することを忘れないように。創立者の曽祖母からは、「感恩奉仕」、自分が恵まれていることに感謝して、その恩を社会に返せということを言われました。