周囲の動きや雰囲気に影響され、冷静さを欠いたまま決断してしまうことがある。例えば、顔見知りの人たちが駆け込むバスに「乗り遅れたら大変だ!」と、行き先も確認せずに飛び乗ってしまうことなどだ。バスが動き出し、暫くしてアッと気付くがもはや手遅れ。「こんなことになるとは思わなかった」と大慌てとなる。こんな苦い思いを噛みしめている人たちが現在、全国各地にいるはずだ。「平成の大合併」で誕生した新たな自治体の住民たちである。

 国が主導した「平成の大合併」により、日本の自治体地図は激変した。大合併前夜(1999年3月末)に3232あった市町村は半減し、今や1727。国がチラつかせたアメとムチが威力を発揮し、まるで隣近所の人と息せき切って結婚に駆け込むような自治体が相次いだ。

 なかでも05年と06年の2年間に市町村合併は集中した。合併特例法の適用期限の影響による。ごく短期間にたくさんの町と村が姿を消し、小さな市がまるで雨後のタケノコのように誕生した。現在、市の数は786(平成の大合併開始前の99年3月末時点では670)に達し、町の数は757(1994)、村は184(568)となった。

 全国各地で展開された市町村の合併協議で共通する難問になったのが、事務事業や行政サービス、さらには住民負担や公共料金などの統一である。自治体ごとに異なるものが少なくなく、一本化することを求められた。同じ自治体内で差異があるのは不公平で、許されないからだ。

 合併協議の場ではどこも「行政サービスは高い方に、住民負担は低い方に合わせる」との原則が掲げられた。もちろん、財政事情を勘案したうえでの原則ではなく、合併協議の進展を図るためのものだ。合併により行政サービスが低下し、負担はアップするとなったら、住民は合併に積極的になりにくい。なかなか「イエス」とは言えなくなるのが、人情だ。しかし、財政事情を直視したら、住民を喜ばせる「甘い話」を振り撒く訳にもいかない。そもそも国が市町村合併の音頭をとったのも、財政事情の悪化が要因だ。こうして合併を目指す側はジレンマに陥ることになる。

 打開策のひとつとして活用されたのが、合併特例である。合併特例法は激変緩和措置のひとつとして、合併後5年間は現行制度(旧市町村ごと)の適用を認めている。特例による5年間の猶予である。

 換言すれば、当面の時間稼ぎであり、または、痛みや負担の先送りともいえる。多くの合併自治体がこの特例を最大限に活用した。「平成の大合併」が大きく進展したのは、05年と06年。つまり、特例による猶予の期限切れが刻刻と迫っているのである。今後、住民たちにとって思いもしなかった事態が次々に生じるはずだ。例えば、こんな事例である。