鈴木敏文氏が語る、GMSの衰退に歯止めがかからない理由Photo by Masato Kato

飛ぶ鳥を落とす勢いだったGMSは
あっという間に凋落の道をたどった

 日本の小売業、特にGMS(総合スーパー)と百貨店は、売上高の減少に歯止めをかけられないでいる。過去10年間を振り返ってみると、チェーンストアの総販売額は14兆224億円(2006年)から13兆1682億円(15年)へと約1兆円減らし、百貨店も7兆7700億円(06年)から6兆1742億円(15年)へと約1兆6000億円減らした。

 業界全体の衰退に伴って、業界地図も激変した。すでにマイカルはなく、ダイエーはイオンに吸収され、西友は米ウォルマートの軍門に降った。セブン&アイ・ホールディングス傘下のイトーヨーカ堂にしても、16年2月期には1972年の株式上場以来、初めての営業赤字に落ち込んだ。

 かつて、時代の寵児とばかりにもてはやされたGMSたちが勢いを失ったのはなぜか。まずは、GMSの生い立ちをおさらいしてみよう。

 いわゆるスーパーマーケットの誕生は1953年(昭和28年)、東京・渋谷に紀伊國屋が開店したのを嚆矢(こうし)とする。その後、ダイエーが57年、西友が63年に誕生。浅草の洋品店だった「羊華堂洋品店」が「ヨーカ堂」としてスーパー業態に転換したのも58年だ。岡田家(現イオン)や西川屋チェーン(現ユニー)など、GMSの有力企業たちは一斉に50~60年代、昭和で言えば30年代に業態変化が進んで誕生した。

 私が東京出版販売(トーハン)からヨーカ堂に中途入社したのは63年、31歳の頃のことだった。当時は、「スーパーだ」と名乗ったところで誰も実態を知らなかった。普通の商店もスーパーの看板を掲げ、安さをアピールするけれど「スーッと出てパッと消えるからスーパーだ」などと揶揄されていた時代でもあった。

 だが、ダイエー創業者・中内功さんの「安売り哲学」に象徴されるアメリカの流通理論を取り入れたチェーンストアは飛ぶ鳥を落とす勢いで業績を伸ばし、80年にはダイエーが小売業として初めて売上高1兆円を突破するなど、お客さまの支持を得ていった。

 チェーンストアの売上高がピークを迎えたのは97年の16兆8635億円。しかしそれ以後、右肩下がりが続いている。

 GMSが長い苦境に突入したのは、皮肉なことに、成功をもたらしたチェーンストア理論の破綻にある。

 ダイエーも西友も、そしてヨーカ堂も、GMSは皆、アメリカの流通理論を金科玉条にしてきた。それは本部が強いバイイングパワーをもとに安く商品を仕入れ、それを店舗に流して大量に売る、という供給側主導の理論だ。このビジネスモデルは、流通チェーンにとってはきわめて理にかなった形だと言われた。

 私は2015年春の「取引先懇談会」で、「ヨーカ堂はチェーンストア理論から脱却する」と表明した。チェーンストアの発展を支えてきたアメリカ仕込みの理論はすでに役割を終え、また、決して日本の商売風土に合ったものではないことが明らかになっているのではないか。このことが明らかになって長い年月が経つにもかかわらず、日本のGMSはいまだに、この「アメリカの物まね」から脱却できていない。数々の取引慣行を変えることができず、ビジネスを時代の変化に対応させられないまま、今ここに至っている。