若手のときは活躍していたのに、30代も半ばを超えてから急に伸び悩む。そんなビジネスパーソンが周囲にはいないだろうか。それは自分のやり方が正しいと思い込み、成長する機会を失って「自己流の壁」にぶつかっているからだ。そう看破するのが、「自分自身もそうだった」と振り返る、アニメプロデューサーの石井朋彦氏(39歳)である。

21歳でスタジオジブリに入社し、6年間、鈴木敏夫プロデューサーに師事した石井氏は、映画『千と千尋の神隠し』や『ハウルの動く城』などの作品に携わりながら、鈴木氏の言葉をノートに綴っていた。段ボール数箱分にもなったという大量のノートから、このたび、その教えのエッセンスをまとめた著書『自分を捨てる仕事術 鈴木敏夫が教えた「真似」と「整理整頓」のメソッド』(WAVE出版)を出版した。「自己流の壁」の克服方法について話を聞いた。(聞き手/「週刊ダイヤモンド」編集部 小島健志)

──スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは、新人であった石井さんに対して「3年間、自分を捨てろ」と迫ったそうですね。

ジブリ・鈴木敏夫氏に学んだ「自己流の壁」を超える術いしい・ともひこ
1977年生まれ。98年スタジオジブリ入社後、鈴木敏夫プロデューサーに師事し、『千と千尋の神隠し』や『ハウルの動く城』などの作品に関わる。2006年にジブリ退社後、押井守監督作品『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』など多数のアニメ作品をプロデュース。(株)スティーブンスティーブン/クラフター取締役プロデューサー。 Photo by Toshiaki Usami

 ええ。そもそも、入社面接のときに鈴木さんと出会って以来、あまりに強烈なインパクトに「この人のそばで働きたい」と思っていました。当時の鈴木さんの印象といえば、眼光が鋭く、頭が切れ、何を言っても先に考えている、そんなすごみがありました。

 一方で、若かった私は、そんな鈴木さんの下であっても「自分ならできる」という根拠のない自信がありました。高校を卒業してすぐ実社会に出て、実写映画の製作現場で働いていたこともあって、プライドの高い自意識過剰な若者だったのです。

 そのため、「3年間、自分を捨てろ」と言われた当初は、不安だけでなく怒りまで感じました。そんな私をいさめるように鈴木さんはこう言いました。

「君は人の話を聞きながら、自分の意見ばかりを考えている。自分の意見を考えていると、いつまでたっても人の話は聞けない。その結果、君の成長にもならない。若いときの一番の価値というのは、『何もない』ということだ。だから自分を捨てろ」と。

──反発しなかったのですか。

 何を言っても、たたきつぶされました(笑)。こんな言い方をするとスパルタ教育だとかパワハラだとか思われるかもしれませんが、実際は違います。鈴木さんは、厳しいことを言った後、必ずその理由についてきちんと論理的に説明してくれました。失敗を叱責した後、「どうすればよかったか」について深く掘り下げて具体的に教えてくれたのです。