2013年、アマゾンはインドに進出。販売業者の勧誘とeコマースの普及に向け、地道な努力を重ねた。その一例が、「お茶屋台」で街を巡回しながら商店主を説得して回るという施策である。


 アマゾンがインドのeコマース市場への参入を決断した時、何かを犠牲にしなければならないことは当初から明らかだった。その「何か」とは、米国でアマゾンを強大なインターネット企業へと導いたビジネスモデル、そのものである。

 アマゾン・ドットコムは、1994年にオンライン書店として誕生した。創業者ジェフ・ベゾスの初期のビジネスモデルは、きわめて単純であった。書籍という1種類の商品を卸売業者や出版社から仕入れ、当時は黎明期であったインターネットを通じて、消費者に直接販売するモデルである。

 そして、ベゾスの先見の明、そして使い勝手がよく大成功したウェブサイトのおかげで、1997年にはオンライン小売業者として初めて100万人の顧客を獲得。取り扱うタイトルの数と商品の種類を拡張しながら、卸契約に根差したエコシステムを構築する。立地を戦略的に選んで巨大なフルフィルメントセンターを配置し、全国区および地域の運送業者と契約を結び、全米と外国に商品を届けるようになった。

 その後、21世紀に入り10年が過ぎると、インドが彼らのターゲットに浮上する。そこには10億人超の人口と、ほぼ手付かずのeコマース市場があった。

 インドという国は、好都合な面と不都合な面の両方を突きつける典型的なケースであった。好都合な面としては、非常に若い国民(人口の65%以上が35歳未満)、上向きの可処分所得水準、携帯電話の高い普及率(ある推計によれば、人口の80%)などがある。

 その一方で、不都合な面も多い。人口の67%はインフラが遅れた農村地域で暮らしている。インターネット環境を持つ国民は約35%にすぎない。クレジットカードや当座預金口座よりも、現金でのやり取りが依然として主流である。そしてインド政府は、自国の小売業者を守ろうという決意の下、厳格な外国直接投資(FDI)政策を定め、外国のマルチブランド小売業者が、オンラインで消費者に直接販売することを禁じている。つまりどの外国企業も基本的には、インド製の商品の販売を仲介するサードパーティであれということだ。

 これらはアマゾンにとって課題であり、時に障壁ですらあったが、克服できないものではなかった。そこに革新的なビジネスモデルさえあればよいのだ。