今年97歳になる元皇軍兵士の証言
2010年11月7日、かながわ県民センターホールで行われた『撫順(ぶじゅん)の奇蹟を受け継ぐ会』のシンポジウムにパネラーとして参加した。この日のメインスピーカーは、今年97歳になる元皇軍兵士の絵鳩毅だ。
昭和17年に招集されて中国で従軍した絵鳩は、終戦後は5年間のシベリア抑留を終えてから中国の撫順戦犯管理所に移管され、さらに6年間の拘束生活を過ごしてから昭和31年に帰国した。
つまり終戦からさらに11年間、絵鳩にとっての戦争は続いていた。
そんな前置きを置いてから絵鳩は、自分たちが中国で行ってきたことを語り出した。
「昭和20年6月、私が所属していた第59旅団111大隊は、本隊のいる山東省まで行軍しました。ところが八路軍は夥しい数の地雷をこの地に敷設しており、111大隊が装備していた旧式の地雷探知機は、まったく役に立ちませんでした。窮余の策として部隊の指揮官は、連れていた苦力(クーリー、軍用資材を運搬するために強制的に連行された中国人)を『地雷踏み』、つまり、『人間地雷探知機』にすることを命じました。部隊の先頭に苦力をずらりと横一線の20メートル幅に並ベ、後ろから銃剣を手にした日本の監視兵が追い立てました。それからは日本兵の犠牲者は一人も出ないですみましたが、先頭を歩かされた中国人のうち4、5名は、目的地に着くまでに地雷で死傷しました。もちろん手当などしません。路傍に置き去りです」
実的刺突―初年兵に中国人捕虜を突かせた
地雷踏みについて語り終えた絵鳩は、本隊に合流すると同時に大隊長から命じられた指令について、壇上で半ば目を閉じながら、淡々とした口調で淀みなく語り続ける。メモや原稿はない。多くの場で何度も語ってきたからこそ、絵鳩の意識には、一字一句まで正確に刻まれているのだろう。