今度、文化勲章を受ける作曲家の船村徹の東京での常宿は、九段下のグランドパレスである。その中の寿司屋で私は何度かごちそうになったが、今回は、あまり知られていない船村のユニークな弟子の話をしたい。

 それはフランスのシャンソン歌手、ジョルジュ・ムスタキである。ムスタキはボブ・ディランのようなメッセージ・ソングの歌い手としても知られる。

ビートルズのオーディション

 あるとき船村は日本を離れる必要があってヨーロッパに渡り、デンマークのコペンハーゲンに滞在した。船村の作った演歌風に言えば、コペンハーゲンに草鞋(わらじ)をぬいだのである。

 船村のヨーロッパ生活は2年に及んだが、レコード会社のEMIに招かれてロンドンに行った時、オーディションに3、4組のグループが来ていた。終わってからEMIの人に、「どれか気に入ったグループはいましたか」と聞かれたが、ピンとくるグループはなかった。ただ、ひときわ薄汚い格好をしたグループがいて気になった。それがのちの「ザ・ビートルズ」だという。

 コペンハーゲンを拠点にヨーロッパを点々とし、しばらくパリに滞在していたら、パテ・マルコニーが船村に新人教育を頼んできた。イタリア人とギリシャ人の男性で、イタリア人の方はモノにならなかったが、ギリシャ人の方は貧しい生活を送りながらも音楽に真摯に取り組み、好感がもてた。船村より2歳下のその男が、船村を“東洋の師匠”と呼ぶエジプト・アレキサンドリア生まれのムスタキである。

 ムスタキに船村は美空ひばりの「哀愁波止場」と「三味線マドロス」を歌わせる。歌詞はフランス語で、タイトルも「哀愁」は「私の影とただひとり」に、「三味線」は「海から帰ってきた人」に変えた。パリのスタジオでそれをレコーディングし、日本に送ったが、残念ながら売れなかった。

 ムスタキが反戦と恋を歌うシンガー・ソングライターとして、一躍、注目されるようになるのは、それから7、8年後である。