深センは中国最初の経済特区だ。この地で成功した経済特区のモデルはその後、中国国内各所に拡大したが、深センほどの劇的な変化は、他の都市では生まれていない。他の経済特区は元々が大都市で、多くの既存の構造や既得権益がある。

 既得権益者がいないことは政治的に新しいことのやりやすさにつながるし、やり直しが利きやすく、失敗を許容しやすいことにもつながる。

 レガシーを引きずっていないことは都市のマネジメントを変える。上海は深センよりも豊かな国際都市だが、多くの既得権益や遺産があり、深センほど早くは変化できない。北京に至っては数千年の遺産と人々を抱えている。「バスの支払いは全部電子決済にします」といった変化に、最も早く対応できるのは深センの住民たちだし、「新しいバスを全部電気自動車にしよう」のような取り組みができるのは、その地方に根付いた車の販売会社がない深センならではだ。歴史があり、過去のしがらみがあるところほどアップデートに苦労するのは、日本でも歴史ある企業や銀行のシステム刷新などで見られる通りだ。

 深センは中国の政策が改革開放に転じた1980年代、当時の最高権力者、鄧小平の号令によりゼロから発展が始まった。そのときに深センの改革を主導したのは、「銭がないなら権をくれ」(*)という名言を党中央に対して主張した習仲勲、習近平の父である。

 トライアルアンドエラーや変化を前向きに受け入れていくのは、そもそもの深センの成り立ちとも通じている。

(*)銭と権は中国語では同じチェンという音で、「補助金はいらないから、自由に工夫して商売する権利を深センに与えてほしい」という言葉。当時の中国は計画経済の全盛期で、人々が自分の意思で経済活動するという概念がそもそもなかった。

「地球の歩き方」には載っていない
日本人が知らない深センガイド

 今、深センにいる人は、このもっとも成長し、賃金も急上昇している都市に働きに来た人々だ。

 深センの発展は、世界の工場と言われるように製造業を中心に始まった。日本の大手メーカーも台湾のFOXCONN(鴻海科技集団/富士康科技集団)も深センに巨大工場を作っている。1990年代に作られた多くの工場は、すでに深センの中心部から郊外に移転し、今ではさらに中国の内陸部や、ベトナムなどに移っている。深センのGDPは香港を超え、もはや安い労働力を提供する場所ではない。