マツダが欧州プレミアムブランドと勝負するために必要なことPhoto by Akinori Shimono

広島で生まれ今も広島に本社を構えるマツダ。経営面では紆余曲折を経ながらも「マツダ車でなければダメなんだ」という熱烈なファンを持つほどのブランドを確立したマツダを率いる小飼社長に、ものづくりへのこだわりや、地域に根付く企業の在り方を改めて聞いた。(聞き手/「ダイヤモンド・オンライン」編集長 深澤 献)

“社長お気に入りのクルマ”として披露した「ロードスター」

──小飼社長といえば、私にとって印象的だったのは、2014年の東京モーターフェスで、自動車メーカー13社の代表が「お気に入りのクルマ」を披露するという趣向があったでしょう。多くの社長がスーツ姿で、おそらく広報部が用意した今年イチオシの最新型に乗ってくる中、小飼社長は1989年デビューの初代「ロードスター」に乗ってきましたよね。ロードスターに対する思いが伝わってきました。

小飼 ロードスターは1989年の発売ですが、当時のカーラインナップの中で、今も車名が残っている唯一のクルマです。いわゆる経営危機のあいだも生産をやめず、マツダの意志を貫き通した象徴的な商品です。お気に入りのクルマといえば25年前の初代ロードスター以外にないと考えました。

 だから、グリーンのロードスターを用意して、その色に合った服装をジャケットからパンツ、シャツ、チーフ、靴下、靴に至るまで一式買いました。25年前のクルマだから、そこまでしないとカッコつかないな、と。

 でも、あれは主催者の意図にはそぐわなかったのかもしれないですね。当日、皆さんが乗ってこられたクルマを見て「これは外したな」と思いましたね。マツダ以外の他社は最新のクルマでした(笑)。

──そうですか? 逆にすごく目立ってましたよ。ただ、そのあと、トヨタ自動車の豊田章男社長がレーシングスーツ姿で、スポーツカーの「GR MORIZO 86」で派手なドリフト走行をしながら登場して、話題性では持っていかれましたけど(笑)。印象に残ったという意味では、そのお二人が突出していました。

小飼 やっぱり我々のブランドアイコン、マツダを示す商品というとあれだと思いました。他にも案があったんですけどね。例えば、第1回で書きましたが、私は個人的には「コスモAP」に憧れてマツダに入ったので……。でも、40年前のクルマですからね、用意できなかった。

 ただ、1967年発売の初めてロータリーエンジンを積んだ「コスモスポーツ」は翌年の東京モーターショーで乗ったんですよ。やっぱり各社長が自慢の1台を乗って銀座をパレードするというイベントがありまして、私はまた性懲りもなくコスモスポーツですよ(笑)。コスモスポーツファンクラブの会長さんの所有車で、前日からお借りして練習しました。とにかくエンストだけは絶対してならないと、アクセルとクラッチを切る感覚と、ギアが何速に入っているかがわかりにくいので、その確認ですね。

 あのイベントはそもそも60周年を迎えた東京モーターショー自体の歴史を振り返ろうという趣旨だったので、他社さんも結構古いのを持ってきていましたよ。スバルさんは「スバル360」でしたね。