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ソ連政府はどのように収束させたのか
――福島原発震災 チェルノブイリの教訓(3)

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
2011年4月12日
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 1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故は、人為的ミスによる暴走事故だとされている。あれから25年、前回述べたように、死者数の推計にすら諸説あり、まだ事故の影響は色濃く残っていることがわかる。

 当時はソビエト社会主義共和国連邦時代の末期だったが、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ各共和国政府は機能していない。すべてモスクワの連邦政府(共産党政府)が指示していた。

 情報は錯綜し、事故発生時も近隣諸国に通告していないので、翌日以降に北欧諸国が異常な放射性物質を検出して発覚した。その後、ソ連政府は国際社会に事故を報告し、事故の収束活動を開始する。

 チェルノブイリ事故の場合、2度の爆発で一挙に放射性物質が吹き上げられた。福島は基本的にじわじわと漏れているわけだが、4基の原子炉が同時に損傷(4号機は使用済み核燃料プールの冷却不能)しているので、内部に存在する放射性物質の全体量は圧倒的に福島のほうが多い。チェルノブイリの数倍といわれている。

 当時、ソ連政府の対応を西欧各国は罵倒し、悲鳴と怨嗟の声に満ちた。とくに北欧や西ドイツ国内はほとんどパニックだった。筆者の記憶では、もたもたしたソ連政府は作業員の健康管理もできず、長期間にわたって世界中に放射性物質をばら撒いた、という印象が残っている。

 しかし、多大な犠牲者を出しながら、じつはソ連政府は10日間でほぼ事態を収束方向にもっていったのである。私たちが学べる点はあるだろうか。

 チェルノブイリ4号炉は核分裂反応の暴走によって瞬間的に2度、爆発した。その経緯をIAEA(国際原子力機関)が1986年8月に開催した国際会議でソ連政府が報告している。また、この報告を元にして日本の原子力安全委員会が1987年9月に公表した事故報告書にまとめられている。これらの情報は現在、「原子力百科事典ATOMICA」(注①)でだれでも解説を読むことができる。ATOMICAは日本の原子力村(産学官の権益集団)が作成しているものだ。

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


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