原発事故、電力不足、物流途絶、食品・日用品不足…。大震災に襲われた3月11日以降のこの国の混迷は、われわれに何を突きつけているのか。同志社大学の浜教授は、「均一化」と「集中」をテコに成長だけをひたすら追求してきた国づくりの行き詰まり、そして「多様化」と「分散」への発想大転換の必要性を示していると説く。
(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長、麻生祐司)
同志社大学大学院ビジネス研究科教授
一橋大学経済学部卒。三菱総合研究所ロンドン駐在員事務所長などを経て現職。金融審議会、国税審査会、産業構造審議会特殊貿易措置小委員会等委員、経済産業省独立行政法人評価委員会委員、内閣府PFI推進委員会、共同通信社報道と読者委員会、Blekinge Institute of Technology Advisory Board メンバーなどを歴任。 『グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに 』(岩波書店)『ザ・シティ金融大冒険物語―海賊バンキングとジェントルマン資本主義』 (毎日新聞社)など著書・共著多数。
「均一化」と「集中」。戦後日本の国づくりの特徴を端的に概念化するならば、この二つの言葉に収斂されるだろう。それは、戦後の焼け野原からの復興、そしてその後の経済成長を支えた“二輪”の概念である。しかし、3月11日に東日本を襲った未曽有の震災と、いまだ出口の見えない福島原発震災は、均一化と集中に依存するこの国のあり方が危機に対していかに脆いかという現実をわれわれに突きつけた。
大きければ強く効率的であるという均一化の論理のもとに組み立てられたものの多くは、今回の震災で、あっけなく崩れ落ちた。物流システムは各所で機能不全に陥り、大手スーパーチェーンや大手コンビニチェーンはちょっとしたパニック的な購買行動や買い溜めによって食料品や日用品の不足どころか枯渇に陥った。 富と都市機能は東京圏に寄せ集めるという集中は、福島原発事故を機に深刻な電力不足問題を引き起こし、交通インフラの大混乱を招いた。
私は今、声を大にして提唱したい。均一化ではなく「多様化」、集中ではなく「分散」こそが、復興、いや日本の新興を論じるときの新たな二輪になるべきだ、と。
大手スーパーやコンビニにモノがないとき、救いの手はどこにあったか。それは、グローバルスタンダードとは無縁なところで生真面目に営んでいた零細個人商店にあった。前世紀の遺物と揶揄されていた、存在を忘れられつつあった零細でローカルなお店に、懐中電灯や乾電池、水やティッシュペーパー、パンはあった。グローバルスタンダードの常識からは最も遠いところで、救いは発見できたのである。