「シンギュラリティ」説には無理がある
AIは人間に代わるものではない

──AI研究とは、人間がイメージできない未知の問題に取り組むのではなく、今あるものの精度を上げるという段階なのですか?

 そういう見方をしていただければよいと思います。まだまだ研究者がAIを向上していく余地は残されています。変化の度合い、向上のペースは速くなっていますが。

──AIは人間の想像を超えた答え・選択肢を与えてくれる存在ではないのですか?

 それよりもむしろ、もっと最適化していく存在です。人間が一人ではあるところまでの判断で限界だったとして、AIを使うことにより最適の状況を実現することを目指しています。

──SFの世界では、人間の知性を超えるAIが登場し、人類史に断裂を引き起こす「シンギュラリティ(技術的特異点)」という概念がありますが、それはどんなものだと思われますか?また、その時期が2045年だといった説もありますがどう思われますか?

高校生の時にコンピュータと言語学の授業を取り、AI研究に興味を持ったというピーター・ノーヴィグ氏 Photo by K.F.

 まず、シンギュラリティ自体を信じるか、信じないか。シンギュラリティが意味するのは「無限に進歩が続き、向上が永遠に右肩上がりに続く」ということを示唆しています。しかし、物事というのは進歩して改善しても、あるところにくるとどうしても横ばい状態にならざるを得ないという状況があります。永遠に無限に進歩が続くというのは、やはり無理であり、必ず限界があると私は思います。

 人によっては「インテリジェンス(知能、知性)」に対してあまりにも信頼を寄せすぎているのではないかと思います。たしかに、そもそも人類=ホモサピエンスとは、「考えるのが好きだ」という人間本来の性を表している言葉だと思うのですが、あまりにもインテリジェンスに重きを置きすぎるのはいかがなものかと思います。それだけが全てではないと私は思います。

 例えば、とても賢いコンピュータに「碁で、人間に勝て」と言ったらそれはできるかもしれません。しかし、どんなにインテリジェンスのレベルが高いコンピュータであろうと、「今の中東情勢を解決する施策を出せ」と言って何らかの答えを出したとしても、逆に人間の社会は大混乱に陥ってしまうのではないかと思います。

 人間が認識しておかなければならないのは、こういったモノは人間が使えるツールであって、われわれがやってきたことにとって代わる、完全に代替するものではないということです。

 例えば、100年前には、「カリフォルニアから日本に10時間以内に移動する手段」は不可能という結論でしたが、今や、それに関してはシンギュラリティは達成されています。でも、人間の限界を超える輸送手段は登場しましたが、人間の生き方や生活の他の側面にこれが影響を与えているわけではありません。ですからシンギュラリティについても、「特定の課題は解決するが万能ではない」という捉え方ができると思います。

――人間でないと創り出せない分野というのは残り続けるということですね?

 人間の価値というのは変わりませんし、人間の役どころは、中身は変わっても必ずあります。ただ、人間が新しいツールを使えるようになることで、仕事の内容が今とは変わることもあるかもしれませんし、仕事のやり方も変わっていくと思います。

 私自身、AIの登場によって仕事が奪われると、戦々恐々としている人々の思いは分かります。というのは、今ある仕事が失われるというのは想像に難くないのですが、今存在しない仕事がどういったかたちで出てくるのかというのは想像するのが非常に難しいことです。心配になるのもよく分かります。

 ただ、明るい考え方もできます。例えば銀行業を思い浮かべてください。昔は行員が札束を広げてお金を数えていました。しかし、今はお札を機械に入れれば自動的に計算することができます。だからといって行員数が昔と比べて減ったかというとそうではなくて、むしろ昔よりも増えています。なぜなら昔は必要なかった業務、例えばローンの信用審査など機械ができない仕事があるからです。今までなかった仕事で必要な仕事が創られたからこそ、人間の社員が必要になっているのです。