福島第一原発事故の損害賠償(補償)のための政府の支援策(新機構の設立)は、連休前に閣議決定される予定でしたが、政府内での調整がつかず連休明けまで延期となったようです。それ自体は良かったですが、しかしやはり東京電力をめぐる議論はどうも偏っているとしか思えません。

東電を甘やかすな

 偏っていると思う第一のポイントは、政府の支援策は東電を甘やかしているということです。

 先週このコーナーでも書いたように、民間企業が事故を起こしたのだし、原子力損害賠償法も、原発事故が原因で発生した損害の賠償の責任を無限責任として電力会社に課しているのですから、東電が一義的に責任を負うことは当然です。この点については枝野官房長官も海江田経産大臣も明言しています。

 となると、東電がまずすべきは、徹底的なリストラを通じて損害賠償の原資を自らで捻出する努力をすることではないでしょうか。

 ところが、発表されたリストラ策は、役員の年間報酬の50%削減、社員の給与の2割削減、新規採用の見送りなど、JALのリストラよりよっぽど甘い内容でした。被害の規模を考えれば、例えば役員報酬は全額返納が当然です。幸い、海江田経産大臣が今のリストラ策では不十分と発言しましたので、ある程度の深堀りは行なわれるでしょうが、それだけで十分でしょうか。

 例えば、東電の2010年3月時点での総資産を見ると、資本剰余金と利益剰余金で約2兆5千億円もの内部留保があります。原子力事業のための引当金も約1兆8千億円あり、経産大臣の許可を得れば賠償に転用が可能となります。

 そうした東電の自助努力が不十分な中で救済策が決定・実行されたら、いくら「東電が無限の責任を負う」「国費負担はない」と関係者が喧伝しても、結局は電力料金の値上げという形で国民が多くを負担することになります。

 ついでに言えば、政府内には莫大な“原子力埋蔵金”(原子力関連の団体の積立金と予算)もあり、本来はこれらも損害賠償の原資として活用すべきです。そうした努力もせず、なんでもツケは国民に回そうという安易な発想は、政府のムダを十分に切らない中で増税して復興財源を賄おうというのとまったく同じです。